【9日目 1979年8月12日(日)】
1979年にバイクでツーリングした時のレポートです。
京都駅を、通勤客が増える前に出て市内観光に。
有名どころを押えようと向かった先は清水寺。
中学の修学旅行で来て以来だ。
朝まだ早いのでおみやげ物屋さんはまだやっていない。
その中を通ってすぐ下にバイクを止める。
今では絶対通れないんじゃないかな。
(左下の赤枠がバイクです)
次に向かったのは大阪。
枚方に親戚の家があり電話をしてから向かう。
1970年の大阪万博以来なので9年振りとなる。
電話で場所を聞いたが、大雑把な全国地図なので同じような住宅街の中、なかなかたどりつけずずいぶんと時間がかかってしまった。
ここまで来たので万博の太陽の塔を見ようと思い、千里公園を目指す。
道の途中で目的の塔が見えたので写真に納め、これで満足。
この先、フェリーに乗って淡路島経由で四国に入ろうと思ったが、神戸のあたりでウロウロしていたら淡路島行きではなく四国直行になってしまった。
バイクで初めてのフェリー。
乗り方は雑誌で他の人のレポートで読んでいたけど実際に自分で乗るのに勝手がよくわからなかった。
フェリーでは車より先にバイクが乗船し、船の左右の壁側に移動するように指示された。
バイクを移動させたはいいがこの後どうしたらいいかわからずウロウロしていると船員さんが手際良くロープでバイクを固定していった。
手馴れた様子で何台かのバイクを固定していく。
貴重品等手荷物だけもって客室にあがる。
航行中はバイクや車のあるフロアへは降りられないようだ。
航行自体はそれほど時間がかからず四国・徳島に到着した。
フェリーから降りたバイクは3台。ホンダCB750KとSR400、そして私だ。
話をしてみるとみんなツーリングの途中だという。
せっかくだから一緒に泊ろうという事になった。
しかしここで問題発生!
実は全然考えていなかったが、この日は徳島阿波踊りの真っ最中。
そんな時に飛び込みで空いている宿などなかった。
三人で途方にくれていても仕方ないので、とりあえず地元の事は地元のタクシーに聞くのがいいだろう、と言う事でタクシーの営業所にバイクを走らす。
運転手の方に事情を説明すると無線で何箇所か聞いてもらったがやはり皆無理との事。
それでもさらに聞きまわってくださってようやく「素泊まり、飯無し、布団部屋」ならOKという所が見つかった。
喜び勇んで先導してくださったタクシーの後を三台のバイクが追いかける。
そこは海岸沿いの民宿。
タクシーに運転手さんにお礼を言って宿に入る。
ほんとに「布団部屋」だった。
三人で近所の居酒屋に繰り出し、乾杯と遅めの夕食。
CB750Kは名古屋のトラックの運転手、SR400は大阪の人だった。
この時に見たCB750Kの黒ボディに赤ラインだけのデザインが気に入って、後に自分のホークをこのようなデザインにしたのだった。
なんだか疲れた一日だったので周りの騒がしさも気にせずすぐに熟睡。
(本日の走行:306.2km)
【10日目 1979年8月13日(月)】
翌朝、それぞれ向かう方向が違うので別れを告げそれぞれの道へ。
私は四国を時計周りに海岸線沿いに南下することにした。
まず目指したのは室戸岬。
四国を走って思ったのは「自然が多いところ」という感想。
ここでちょっと私の野宿のスタイルを紹介
バイクで野宿する場所は、
・無人駅
・大きな駅のロータリー
・街道沿いの24時間やっている無料のコインスナックのベンチ
・公園や工場の入り口
・神社やお寺の境内
などが多い。
野宿していて困るのは人と動物。
人は、例えば大きな駅では駅員や守衛さんから注意される事もあるし、街道沿いのコインスナックでは夜中に暴走族が溜まりにくる事もある。
まあ暴走族も同じライダー。「どこから来たんや!」「東京だ!」という会話で結構話がはずんでしまう事もある。
無人駅に泊っていると地元のおじさんが「うちに泊っていけや!」なんて言ってくださる事もある。
夜中に寝ていてなんとなく人の気配で目を覚ますと浮浪者がこっちをのぞき込んでいた事もある。
動物で困るのが野良犬。
特に雨の日に屋根付きのところにいると犬が一緒に雨宿りにやってくる。
そして夏のツーリングでやっかいなのが「蚊」。
携帯用の蚊取り線香を使っていたが、風下で寝ていると喉が痛いし風上だと効かない。
虫刺されのムヒはすぐになくなってしまう。
野宿する話に戻ると夕方4時頃からそろそろその日の宿にふさわしい場所を物色し、適当な場所があればそのままその日の走行は終了となる。
一旦ここ、と決めた後でもやはり不都合があって場所を変えることもある。
日が暮れて暗くなっても泊る場所が決まらないと不安になる。
この日もそうだった。
野宿なんてどこでもよさそうなものと言われるかもしれないがそれでも一晩だけとはいえ安心して眠れる場所を確保するのは結構気を使う。
四国を徳島から高知と走るがなかなか気に入る場所がなかった。
海沿いから山の方に移動して、探すことにした。
しかしこれが裏目に出て、走れど走れど明かりが見えない。
真っ暗な闇の中、自分のバイクのヘッドライトの照らす範囲しか光がない。
「もしここでバイクが故障して、ライトが消えたらどうなるんだろう!?」という恐怖のような思い。
しばらく走ると遠くにポツンと明かりが見える!
「よかった。集落があるのかな」と思って明かりの方向へ走る。
地図やコンパスでも今自分がどこを走っているのか全くわからない。
この時、GPSみたいなものがあればどれだけ心強かっただろうか。
遠くに見えていた明かりがだんだん大きくなってきた。
最後のコーナーを回って、やっとのことであかりのところにたどり着いた。
しかしその明かりは、電波の中継所の無人の建物。
当然建物周囲は高い金網で包囲され近づけない。
なにもない山の中で、野犬かなにかいるかもしれないところで野宿することは出来ない。
仕方なく山を降り、なんとなく海の方向に向かう。
もう泊れるところならどこでもいいという感じ。
ようやく下界に下りてきて見つけたのが宇和島の神社。
ここの境内近くの公園で野宿することにした。
今日はずいぶんと走った。今回のツーリングで1日の距離としては最高だった。
明日はいよいよ九州だ。
(本日の走行:509.5km)
コメント
みなさん、コメントありがとうございます。
特に地元の方にとってはテリトリーですね。
ミジンコさん、
当時12歳ですか、まだバイクは乗れないですね。
確かに四国は自然に恵まれた山間部が多いですね。
子供の頃から父親の影響で写真はいっぱい撮ってました。
sanwagunmaさん、
そうなんですよ。
やっと見つけた明かりが頼りだったのに
余計にがっかりでした。
今こうして書いたものを読むと過酷かもしれませんが
当時、結構楽しんでました。
私も前の年に原付で東北一周するまで
野宿なんて一度もしたことがなかったです。
仙人さん、
なんとなく「旅=野宿=テントなし」かな
なんて思ってたのでテントは使いませんでした。
場所確保は本当に毎日の一番の課題でした。
仙人さんも野宿派なんですね。
レポート、読ませてくださいね。
ばんさん、
大阪城は改修したんですか?
すみません不勉強で知りませんでした。
マミー型のシュラフも夏は暑くてたまらなかったのですが
テント無しのまったくの無防備状態なので
シュラフだけが外界から体を守る砦でした。
テツママンさん、
さすが大阪のオネエさんですね。
私はあまりに古すぎてよく覚えていません。
山道の真っ暗闇での走行は恐怖です。
森の中や崖の下から何か出てきそうで
それにバックミラーに、後ろのシートに誰か乗っていないか
かなり怖いです。
まこP-さん、
この旅行で36枚撮りのフィルム5本分、
約200枚弱は写真を撮りました。
当時は現像代と焼き増し代が結構きつかったですね。
弾正さん、
1日で500kmが大変というより、
1日300km以上の走行を2週間、毎日続けたことのほうがハードでした。
一緒に走った仲間は1日で東京から博多まで
1000km走った人もいましたよ。
亀吉さん、
枚方の香里園に親戚の家がありました。
ヘルメットはジェットヘルとフルヘルの二つを持っていきました。
雨や高速走行時と、暑い日差しの時で使い分けてました。
途中で、合宿や夏休みに帰省していた友人を乗せるのにも使いました。
よく見ると荷物のダッフルバッグの中にメットの形が
わかると思います。
みなさん、コメントありがとうございます。
特に地元の方にとってはテリトリーですね。
ミジンコさん、
当時12歳ですか、まだバイクは乗れないですね。
確かに四国は自然に恵まれた山間部が多いですね。
子供の頃から父親の影響で写真はいっぱい撮ってました。
sanwagunmaさん、
そうなんですよ。
やっと見つけた明かりが頼りだったのに
余計にがっかりでした。
今こうして書いたものを読むと過酷かもしれませんが
当時、結構楽しんでました。
私も前の年に原付で東北一周するまで
野宿なんて一度もしたことがなかったです。
仙人さん、
なんとなく「旅=野宿=テントなし」かな
なんて思ってたのでテントは使いませんでした。
場所確保は本当に毎日の一番の課題でした。
仙人さんも野宿派なんですね。
レポート、読ませてくださいね。
ばんさん、
大阪城は改修したんですか?
すみません不勉強で知りませんでした。
マミー型のシュラフも夏は暑くてたまらなかったのですが
テント無しのまったくの無防備状態なので
シュラフだけが外界から体を守る砦でした。
テツママンさん、
さすが大阪のオネエさんですね。
私はあまりに古すぎてよく覚えていません。
山道の真っ暗闇での走行は恐怖です。
森の中や崖の下から何か出てきそうで
それにバックミラーに、後ろのシートに誰か乗っていないか
かなり怖いです。
まこP-さん、
この旅行で36枚撮りのフィルム5本分、
約200枚弱は写真を撮りました。
当時は現像代と焼き増し代が結構きつかったですね。
弾正さん、
1日で500kmが大変というより、
1日300km以上の走行を2週間、毎日続けたことのほうがハードでした。
一緒に走った仲間は1日で東京から博多まで
1000km走った人もいましたよ。
亀吉さん、
枚方の香里園に親戚の家がありました。
ヘルメットはジェットヘルとフルヘルの二つを持っていきました。
雨や高速走行時と、暑い日差しの時で使い分けてました。
途中で、合宿や夏休みに帰省していた友人を乗せるのにも使いました。
よく見ると荷物のダッフルバッグの中にメットの形が
わかると思います。
お~~!私の生息する枚方だ!
ひとつ質問が・・
出発は フルフェイスと言ってましたが
途中はジェットヘルなんですが
いえ なんとなく どうしてかな~っと?
お~~!私の生息する枚方だ!
ひとつ質問が・・
出発は フルフェイスと言ってましたが
途中はジェットヘルなんですが
いえ なんとなく どうしてかな~っと?
1日500kmって凄いですね。^^
それも知らない土地で真っ暗闇を走るなんて
相当疲れるんでしょうね。
1日500kmって凄いですね。^^
それも知らない土地で真っ暗闇を走るなんて
相当疲れるんでしょうね。
それだけ写真残してましたね!
すごい!
それだけ写真残してましたね!
すごい!
清水寺も大阪城も太陽の塔もどこらへんから撮ったのか
なんとなくわかる関西人です^^
あ、でも大阪城は古き良き時代のお城ですね(今はお城の
カタチをしたただのビルです)
袖振り合うも多少の縁、とはいいますが、船の中での縁ってのも
いいですね。
しかし真っ暗闇の走行って考えただけでコワイよ~
1日で500kmって相当疲れたでしょうね。
清水寺も大阪城も太陽の塔もどこらへんから撮ったのか
なんとなくわかる関西人です^^
あ、でも大阪城は古き良き時代のお城ですね(今はお城の
カタチをしたただのビルです)
袖振り合うも多少の縁、とはいいますが、船の中での縁ってのも
いいですね。
しかし真っ暗闇の走行って考えただけでコワイよ~
1日で500kmって相当疲れたでしょうね。
改修前の大阪城ですね
太陽の塔もペンキを塗ってきれいになってます
懐かしいですな
そう言えば
シュラフの顔の所だけ蚊に刺されましたね~
虫除けスプレーなんていい物はないし
朝にはきっと全身から蚊取り線香の香りを
漂わせてたはずです
改修前の大阪城ですね
太陽の塔もペンキを塗ってきれいになってます
懐かしいですな
そう言えば
シュラフの顔の所だけ蚊に刺されましたね~
虫除けスプレーなんていい物はないし
朝にはきっと全身から蚊取り線香の香りを
漂わせてたはずです
お~~!私の生息する枚方だ!
でも当時はいませんでしたが(^^;
野宿でもテント無しだと、場所が難しいのですよね!凄いな~
私はテント派で、人里はなれたところがほとんどでした。
たまに工事現場の重機の横とか朝一に逃げるように撤収しました(笑)
いまでも四国は自然の宝庫ですね☆
お~~!私の生息する枚方だ!
でも当時はいませんでしたが(^^;
野宿でもテント無しだと、場所が難しいのですよね!凄いな~
私はテント派で、人里はなれたところがほとんどでした。
たまに工事現場の重機の横とか朝一に逃げるように撤収しました(笑)
いまでも四国は自然の宝庫ですね☆
真っ暗やみの中、やっと見つけた明かりが無人の建物なんて、、
思わず”ゾッ”っとしました。
私は未だに野宿の経験はありませんが、想像していたよりも
過酷なんですね!
九州編も楽しみにしております。
真っ暗やみの中、やっと見つけた明かりが無人の建物なんて、、
思わず”ゾッ”っとしました。
私は未だに野宿の経験はありませんが、想像していたよりも
過酷なんですね!
九州編も楽しみにしております。
おお、ようこそ四国へ。当時私は12歳かな?
四国は、山間部が多いです。愛媛県内でも、宇和島や大洲は当時の面影が
変わらずに残っているんじゃないでしょうか。
それにしても、いい写真をたくさん撮られてたんですねー。
私は昔の写真って殆どないので、うらやましいです。