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初代パジェロのカラーリング変遷と四駆生活アウトドア

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四駆にハマったきっかけ

今も人気で納期が1年とか2年とか言われているジムニー。
私は2018年の発売前に予約をしましたがそれでも3ヶ月待って納車となり、今は5年を経過しました。

ジムニーとしては始めてですが実は四輪駆動車のキャリアは32年前の初代パジェロから始まります。

それ以前、初めて所有した車は昔から乗りたかった黄色いワーゲンで結婚前の奥さんとのデートでいろんなところを走りました。
そんな時に会社の先輩からキャンプに誘われ、このワーゲンで富士五湖に行ってきました。
先輩のクルマはいかにもアウトドアというランクル80で、大きくゴッツくて頼もしく見えました。

バイクでの野宿旅、ソロツーリングは何度も行っていましたがアウトドア・キャンプは、子供の頃に父親やその友人の方に連れられて三角テントで寝たことしか経験がありませんでした。

そのことがきっかけとなりキャンプにハマってしましました。
でもビートルでは荷物もあまり詰めませんし、雰囲気が今ひとつ盛り上がりません。

 

初代パジェロとの出会い

その頃人気だった四輪駆動車といえば「ランクル80」「ランクル70」「ハイラックスサーフ」「ビッグホーン」「タフト」「ラガー」そして「パジェロ」でした。
中でも初代パジェロはガソリン仕様とディーゼル仕様があり、都会的な雰囲気がありながら本格的な装備で一番人気でした。
ラダーフレームにリジットサス、三連メーター、サスペンションシート等々マニアにはたまらない装備が満載でした。

カーショップにちょうど手頃な2500ccのディーゼルターボの初代パジェロXLがあったので即購入しました。
カスタムポイントはヘッドライトガード、フロントバンパーコーナーガード、純正角型イエローフォグランプ、マッドガードでした。

フロント、サイド、リアのスタイルはどことなく、今乗っているジムニーJB64Wに通じるモノがあるような気がします。

 

初代パジェロの装備

内装の紹介です。 左側が納車間もないころ、右側が最終的な状態です。
最初の頃に取り付けたものは、温度計、方位磁石、ハンドル角度表示計、ハンドルカバー、ソラーバッテリーチャージャーくらいでした。

その後、カーナビを取り付けました。 これはパイオニアの日本初の市販カーナビに続きソニーが販売した最初のモデルでモニター無しの本体だけで30万円ほどしたわりには、自車位置を表示するだけで道案内はしてくれませんでした。
グネっとしたアームで液晶モニターを付けていました。

ほかにはアマチュア無線のモバイル機。 シフトレバーのノブ下にあるのが送信と受信の切替器です。

シートカバーは自分で採寸して型紙をつくって迷彩柄のキルト生地を縫ってつくりました。

写真には写っていませんが、このクルマの窓はハンドルを回して開け締めするモノでした。 不便なのであとづけでミツバ製の電動ウインドウユニットをDIYで取り付けていました。
当時のモノはお弁当箱サイズのケースにモーターが組み込まれていました。 色はグレーだったので内装材と同じベージュに塗装していました。

 

赤いラインを入れてみた

しばらくノーマルのままで乗っていましたが、6、7年経ったころにふと思いついてフェンダー部分を強調するために赤いラインテープを貼ってみました。
これでどうなるというものではないのですが何となく力強くなったような気分に浸っていました。

その後、フォグランプを角型のものからPIAAの大径丸形のものに取り替えました。

 

1980年代のオートキャンプスタイル

元々パジェロを所有した目的はキャンプを始めるためでした。
最初のころのわが家のオートキャンプのスタイルは、4人用のドームテントにタープを張ったものでした。

用具も、椅子を収納できる木製折りたたみテーブルに家庭用のカセットコンロ、風除けはダンボールにアルミホイルを貼ったモノという、今見たら恥ずかしくなるくらいチープなものでした。
それでも自然の中で食事をしてテントで眠るというアウトドだライフが楽しかった思い出になっています。

 

いよいよパリダカ仕様に

1983年、三菱自動車はパジェロでパリダカールラリーに初参戦しました。

そして1986年までに参戦したモデルは、NIKONのロゴを入れたカッコイイデザインのパジェロでした。

それがえらく気に入って自分のパジェロにもそんなデザインを入れてみたくなりました。
でも塗装をしてしまうほどの勇気はないので、カッティングシートを貼って再現してみようと試みました。

パリダカ仕様車は後部窓を塞いでいましたがさすがにそこまではできないので、赤とシルバー、黒の三色のシートを大胆に貼ってみました。
一番目立つのはフェンダーからボンネットに掛けての赤い三角ラインとボンネットの「MITSUBISHI」とスリーダイアモンドです。
これもカッティングシートをカッターで切り出して再現しました。
完成したのがこの写真です。

ドアやサイドパネル、ボンネットの複雑な曲面に合わせてラインを描くのに苦労しましたが、それだけのことはあったと思っています。

 

パリダカのパジェロに合わせてデザインを変更

1990年のパリダカのパジェロからはデザインが大きく変わりました。
後部の黒いデザインではなく黄色い太いラインが入るようになりました。 またラインの向きも屋根から車体前下部へと反対になりました。

そうなるとこちらもこのまま負けて(?)はいられません。
さっそくデザイン変更です。 こういう時、塗装仕上げではなくカッティングシートならヒートガンで暖めながらはがせるので便利です。

今回も一度紙にデザインを何枚も描いて検討しました。
ボンネット回りはそのままでいいので後部だけ貼り替えました。
さらにボンネット前部とサイドに「RALLIART」のステッカーを追加しました。

この頃にはアウトドア・キャンプも盛んに行なうようになっていたので、大きなキャンプ道具も積めるようにルーフキャリアを備えていました。 またテレビは受信できるようにダイバーシティーアンテナも付けていたのでアマチュア無線のアンテナもあるのでハリネズミのようになっていました。

リアには後退時に直下を確認するためにミラーを付けていました。 今ではバックカメラが一般的でしたが当時はまだあまり普及していませんでした。

リアのスペアタイヤにはキャンプの時に使うスコップを搭載していましたが、これが冬になるとスキーの板を積めるようにスペアタイヤに被せるスキーラックを載せていました。

 

1990年代のキャンプスタイル

この頃のキャンプではドームテントではなくロッジ型のテントが主流でした。
前室と寝室が別になっていて、雨が降ってもタープを立てなくてもこの下で調理をしたり、寝る時は閉めてしまえ一々荷物をクルマに仕舞わなくてもすみました。
調理用にはコールマンのホワイトガソリンの2バーナー、照明も同じくコールマンのマントル使用のガソリンランタンを使い以前よりかなり明るく過ごせました。
テーブルやランタンスタンドも自作していました。
やはりこれだけの荷物を収納するにはパジェロの荷室だけでは狭いのでルーフキャリが大活躍していました。

オートキャンプだけでなく、オフロードコースのあった伊豆のモビリティーパークにも遊びに行っていました。 ここのオフロードコースは10年前になくなってしまったのですね、残念。

 

初代パジェロからRVR、パジェロioへ

初代パジェロではずいぶんアウトドア、キャンプ、スキーと楽しみましたが、ギアがマニュアルなのでオートマ限定免許の奥さんは運転することができませんでした。
そのため泣く泣くパジェロを降りることにしました。
でも三菱車のアウトドアは捨てがたく次に選んだのはRVRでした。

それでもまだオフロードに未練があり、2000年にはパジェロioに乗り換えました。

この時期、少しだけパジェロioをモデファイした「フライング パグ」に乗る機会がありました。

 

パジェロ再び、そしてジムニーに

そんな変遷を経てきましたが、2002年はV6 3000ccのパジェロに戻ってきました。

こうして振り返ると三菱車のオフロード系に多く乗ってきましたが、2018年には今のジムニーに乗り換えることになりました。
結局、普通の4ドアセダンやスポーツタイプのクルマには興味がなかったんでしょうね。

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