スポンサーリンク

四国九州3週間5千km5万円野宿の旅6-旅の終わり編

スポンサーリンク
スポンサーリンク

1978年に愛車ホンダHAWK CB250-Tで西日本を旅した時の最後の帰宅編です。

【16日目 1979年8月19日(日)】

ここまで2週間以上走り続けてくると曜日の感覚はまったくなくなっている。
いよいよ今日で九州ともお別れ。
これから本州に戻って東京を目指す

北九州の関門トンネルを通る。
海底トンネルなので、昔から冗談でよく言われるように(ホントに昔の事だが)「海の中の様子が見えるのかな?」な、訳はありません。
ただの暗いトンネルを通り抜けるとそこはもう本州。
もっと感慨深いものかと思っていたけど思ったよりあっけなく海峡を渡って本州に戻ってきてしまった。

下関からはしばらく瀬戸内海の海岸線に沿って走り抜け山口県までやってきた。
友人が住んでいる街なので公衆電話から掛けてみると駅前の喫茶店でバイトをしているとの事だった。
一緒に防府天満宮へ向かった。

ここでしばらく時間をつぶした後、次に広島へ。
やはり日本人として広島の街は自分の目に焼き付けておきたい。 そこで何があったのか、今どうなっているかを見ておきたかった。
すっかり日が落ちて暗くなってしまったので、今晩野宿する場所を探して街中を走りまわる。
広島駅もひっそりとしていて野宿は無理そうだった。
翌日まわる予定の平和記念公園の方にもどって川のほとりにある公園の大きな石の上で野宿することにした。
疲れていたし暗いのでまわりの様子はよくわからなかった。

(本日の走行:272.7km)

【17日目 1979年8月20日(月)】

翌朝、川の流れる音で目が覚めた。
(実際は寝ている間中、聞こえていた筈だが)寝ている間はまったく気にならなかった。
目覚めて周囲を見てみるとかなりあぶないバランスの石の上で寝ていたようだ。
当時の私の野宿スタイルは銀色マットのようなものは敷かずに割と薄めの寝袋だけだった。
これで石の上で寝る訳だけど、若いからこそ出来たんだろうと思う。 今なら体の節々が痛くなってとても寝ているどころではないだろう。

ホークに跨りそこから少し北にある平和記念公園に行く。

早すぎたのでまだ開館していませんでした。
まだ開館まで時間があったので「広島平和記念資料館」へ行く前に、「原爆ドーム」へ行く。

この時が最初の訪問だったのですが、その後出張で広島に行く度に必ず立ち寄るようにしています。
間近に見る原爆ドームはやはり心に響いてくるものがある。
長崎でも平和公園で「平和記念像」へも行ったが、やはり今の平和な暮らしをありがたく思う

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませんから」
   はたして私たちはこの「誓い」を守っているのだろうか。

平和祈念公園を後にして広島城に向かう。

市内を回った後、国道2号線を東に走る。
福山を通過し倉敷に着いた。

映画のセットのようないい雰囲気の通りでした。
30年近くたった今はどうなっているのかな。
当時も倉敷は「オシャレな観光地」というイメージがあり、綺麗な街並の中を排気ガスで少し汚れたライダー姿で散策した。

ここまで瀬戸内海にそって走ってきたが、このあと鳥取砂丘を見たいと思い北に進路を変える。
地図で調べて国道53号線を走ることにした。
岡山県から鳥取県を結ぶ鉄道の因美線に沿って走っていたので、この日は鳥取県側にある土師(はじ)での野宿となった。
今日はちょっとだけ長く走った。

(本日の走行:417.0km)

【18日目 1979年8月21日(火)】

土師から北上し、鳥取砂丘に着く。 天気は曇り。
砂丘の手前の売店の近くにバイクを停めさせてもらい砂丘の丘を登っていく。

ずっと遠くまで砂漠のように続く砂丘
画面中央やや右側に小さく写っているのが人です。どんなに広いかわかります。
実際に砂の斜面を歩いていくのは思いのほか大変だった。
ライダーブーツは脛まで隠れるものだがそれでもブーツの中にも砂が入ってくる。
一歩一歩あるいても砂が流れてなかなか丘の上まで登れない。
やっとの思いで尾根(?)に着くと、砂丘の向こうに日本海が広がっていた。
大変だったけど一度来てみたかった場所に立った。

鳥取砂丘を見た後、今日は日本海岸沿いに沿って走る事にした。
日本テレビ系列の「ザ鉄腕ダッシュ」のソーラーカーではないが、日本一周というとなぜか海岸線に沿って走りたくなる。

途中で出会った旅人、ヤマハGXクンです。

舞鶴を過ぎたあたりで、今回3回目のパンク。
まあ慣れたもんだが作業する場所を探してダマシダマシバイクを走らせる。
ガソリンスタンドを見つけ「店舗の片隅でパンク修理をさせて欲しいのでバイクを停めさせて欲しい」と申し出たが、答えは「だめだ!」
「修理は自分でやるから場所だけ貸して欲しい」とお願いしてもダメ。
言ってはなんだが、お客さんが多くて邪魔になるならともかくほとんど誰も来ないような場所だ。
これ以上頼んでも仕方ないし、お願いしているのはこちらなので別の場所を探してパンク修理を行う。

この一件以来、「私は舞鶴という町が好きになれなくなった」
(舞鶴に住んでる方、私の勝手な思い込みです、スミマセン)

今回、パンクは前輪1回、後輪2回の計3回、経験した。
チューブ入りタイヤのパンク修理はチューブレスのそれより手間がかかる。

特に前輪はメインスタンドを立てた上に前輪を浮かせるために後輪に重しを乗せるかエンジン前方下に台をかませて前輪を浮かせたからタイヤを外す。
タイヤレバー3本でタイヤのビードを落としてリムからタイヤを外し、チューブを引き出して穴のあいた場所を見つけてパッチをあてて修理する。
再度、チューブをタイヤに組込みビードを入れ指定圧まで携帯しているハンドポンプで空気を入れる。
文字にするとこれだけ(結構長いかな)だが、実際の作業は30分以上かかるし、力もいる。
それでも国産の中重量級バイクだから出来るのであって、今乗っているハーレーでは絶対無理!
でも海外の動画を見るとマシンを使わずにハーレーのタイヤ交換をしている人がいる。 さすがアメリカ人はパワフルだ。

パンクが直ったところで気を取り直して京都駅に向かう。
今回の旅で行きにも通ったところで最初に野宿した駅だ。
その時になんとなく相性が良く思えたのでまたこの駅で野宿することにした。
なんとなく「我が家」に帰ってきたような安堵感の中で「ステーションホテル泊」となった。

(本日の走行:314.2km)

【19日目 1979年8月22日(水)】

旅もとうとう終わりに近づいてきた。
京都に来たら「次は奈良でしょう」(?)と言う事で奈良です。
やはり奈良と言えば私の中のイメージは東大寺の大仏です。

中学の時の修学旅行以来だが、大仏や奈良公園の鹿という定番の見学コースも、自分の足(バイク)でたどり着いたと思うとなんだか違って見える。

春日大社も見てきてよかった。

亀山を通って浜名湖へ。
明日はいよいよ自宅にもどるだろう。

旅の最後の夜は野宿でなく、宿に泊ることにした。
これだけ排気ガスなどで薄汚れた格好ではさすがにホテルに泊まるのは気が引けたので浜名湖畔の民宿に泊った。

久しぶりの風呂、ちゃんとした食事、あったかい布団。
なにもかもがうれしかった。
「普通の生活ってこんなものかな」というのが、たった3週間弱の旅で野宿泊は2週間ほどの生活の後に感じたことだった。

(本日の走行:300.5km)

【20日目、最終日 1979年8月23日(木)】とうとう旅の最終日になった。

いままでのペースで行けば十分今日中に家に帰るだろう。
浜名湖からは国道1号線をひたすら東を目指す。

途中、静岡でホンダSFがあったので最後に点検整備を受けることにした。
ここまで走ってきてバイクに問題が生じてないかチェックをしてもらうつもりだ。
工場内には白バイがタイヤ交換に来ていた。
さすがにサイドまで綺麗に磨り減っていた。

修理を待つバイク達。
集合管のCBナナハン白バイ。当時、このバイクがミラーに映るとゾーッとしたものです。
左奥に私のホーク、その右にヤカンタンクの赤ホーク。
右の方に耕運機の修理待ちがあるのがホンダらしい。

メーターまわりを見ると、今の白バイに比べるとはるかにシンプルで普通のバイクとそれほど大きく違っていなかった。

私のホーク自体は特に問題は発生していなかった。
このまま東京までOKとの事。

雨に降られる。
バイクの雨は顔にあたると冷たいというより痛い。
昔のジェットヘルのライダーは高速道路で雨に降られると痛いので顔にガムテープを貼って走っていたという。

雨が上がった後には、綺麗な二重の虹が。。。

自宅に戻ったのは深夜になっていた。
旅の相棒の我がホンダ ホーク CB-250Tは泥だらけの姿になっていた。
こんな姿になっても本当によく走ってくれた。

この写真についてちょっと解説。
3週間の野宿ツーリングの荷物は、タンク上のバッグ、左右の振り分けサドルバッグそしてリアキャリア上に乗せたバッグの3つ。
最後に雨の中を走ってきた時の様子なので、タンクバッグには付属のレインカバーを付けている。
もう一つ、リアバッグはモスグリーンの布で覆われているが、コレ実は普段使っているバイク用のボディカバーだ。
ボディカバーは防水性があるのでこうして濡れては困る荷物を包むのに使っていた。
さらにそれ以外にも野宿旅ならではの使い道があった。
一つはキャンプも出来そうな場所で寝袋だけで野宿する時に近くの樹木とかに結びつけてタープ代わりにしていた。テントとまではいかないが多少は個人のスペースを確保できた。
そして寝袋だけで寝る時に銀色マットを持っていくとかさばるのでこのボディカバーを畳んで下に敷いてマット代わりにしていたのだ。

リアの振り分けサドルバッグの上の方にはアルミ製の洗濯バサミではさんである。
これはもちろんサドルバッグの隙間から雨が吹き込んで中の荷物が濡れないようにする目的もあるけど他にも空冷エンジンが夏の暑い中をずっと走り続けて熱ダレしそうになった時にエンジンのフィンに挟んで空気の当たる面積を増やして冷却効果を高めるというもの。
昔のバイク乗りならコレやった方も多いのでは? まあ実際の効果がどれくらいあるのかはよくわからなかったけど。

今回の全走行ルート。
もっと時間があれば遠回りしていろんな所に寄りたかったと思った。
(※ルートはちょっと違っている部分があるかも)

総走行距離は5,082.2km
1日平均254.1km/日、前半の合宿を除くと平均333.7km/日

かかった費用は20日間で約5万円
そのほとんどがガソリン代と食事代。
あとは宿代少々とフェリー代。高速は使用していないので有料道路代くらい。

でもそんなデータ以上に「旅の達成感」と「想い出」を残してくれた。
44年たった今でもこうしてブログに残せるくらい鮮明な記憶になっている。

この旅で日本の47都道府県のうち、37を回った。あと残り10
もし、また可能なら今度は北海道一周の旅がしてみたい。
※その「北海道ツーリング」が達成できたのはそれから33年後の2012のことでした。

【四国・九州の旅、レポートは以上です。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございます】

コメント

タイトルとURLをコピーしました