四国九州3週間5千km5万円野宿の旅2-出発編

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44年前の1979に、ソロで野宿で東京から四国九州をツーリングしてきた時のツーレポです。
昔はこんなスタイルで長距離・長期間のツーリングをしてきたよという記録です。
まあ、当時もホテルに泊まったりキャンプするツーリングもありましたが、夏休みという時間だけあってあまりお金の無い学生ができる長期間ツーリングはこんな感じでした。

【1日目】1979年8月4日8時、いよいよ出発の当日だ。

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(バックに写っているのは自宅ではありません)

フルへイスにGジャンというスタイルで出発。 暑くなってきた時のためにジェットヘルもリアバッグに積んでました。
都内を抜け、国道20号へ。 高速を使わずに一般道のみ。 今回のツーリングでは基本的に高速道路は使わずに一般道でのんびり景色を楽しみながら走る。
まずは長野で単身赴任している父の家を目指す。

車重181kgのホーク250だがツーリング荷物満載で200kg近くまで増えている。
もともとこのバイクは400cc向けに作られたボディにエンジンのストロークだけをショートにしたものを換装しただけにボディのつくりに対しては若干エンジンが非力だ。
それにさらに荷物分だけ増加している訳なのだが、当時の私には比較するバイクもなく以前の原付に比べればはるかにパワフルなバイクであると感じた。
でも見方を変えれば250ccには見えないどっしりとしたスタイルでのんびりツーリングにはぴったりなのだ。
(それでも2023年の今乗っているハーレー(390kg)の半分の車重だ)

家を出て甲州街道を西を目指して進む。 当時ナビやスマホなんてものはまだ無いのでバイクに付けたコンパスと日本全国地図を頼りに進む方向を確認してた。
この辺は日帰りツーリングでもよく来る通いなれた道。

しばらく走るとこの2年前の1976年無料道路に変わった総延長3kmの笹子トンネルを通って甲府へ。

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韮崎市を過ぎたところで国道141号線を北上。

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「日本国有鉄道最高地点」で多数の観光客に混じって記念撮影。
この時は「日本国有鉄道(国鉄)」という名称が「JR」に変わるとは思っていなかった。

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当時、関東からのツーリングで長野方面にはよく行っていたので主要道路は大体頭に入っていた。
そのため地図を見なくても目的地の中込にたどり着くのは容易だった。

長野県中込の父の家には夕方前に着く。

しばらく付近の千曲川を散策してから父と食事に出かける。
長野県佐久地方の名産は「鯉」なのだ。
「鯉のあらい」や「鯉こく」等あまり得意ではないがこれも親孝行と思って食す。 今日の宿は父親の家。

(本日の走行:254.4km)

【2日目 8月5日(日)】

今日は大学の仲間が合宿をしている蔵王を目指す。
合宿先に顔見せをして1~2時間ほどサークルに参加した後、合宿先を後にして清里へ向かう。

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当時、清里の清泉寮といえばガイドブックにもよく登場するミーハーな観光地。
服装もGジャン、Gパン(当時は「ジーンズ」より「Gパン」)というまあ普通の格好なのでそれほど違和感はなかった(と、本人は思ってる)
お約束のソフトクリームを舐めながら牧場の牛を眺める。
ついでに海の口牧場をまわり、ふたたび父の家へ。

(本日の走行:125.2km)

【3日間 8月6日(月)】

今日も大学の合宿に参加するため、菅平に向かう。
昨日の合宿先は蔵王で今日とは場所が違うのは、当時二つのサークルに加入していたので別の方に参加したのだ。
こっちはあまりちゃんとした活動というよりは「夏休みに遊ぼう」的なものなので合宿所ではなくペンションで騒いでいた。

飛び込みで合宿に参加して騒いでいたら仲間から「泊まっていけ」という事で、オーナーに確認したら飛び込みでも宿泊OKという事なのでそのままペンションにやっかいになる事にした。
そうと決まれば腰すえて飲んで騒いで気がついたら空が明るくなり始めていた。
指で「4-4」とやっていたのは明け方4時4分までこの調子だったのだ。

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(本日の走行:52.3km)

【4日目~7日目 8月7日(火)~10日(金)】

昨晩は泊るつもりがなかったので着替えとかは父の家に置いてきたままだ。
一旦中込に戻ることにした。
結局この日はまた父の家で泊ることに。

なんか、全然「四国・九州の旅」にならないし「野宿はまだ出てこない!」という声もありそう。

という訳で実はこの間も中込と菅平を行ったりきたりしながらただ「遊んでいただけ」という日々だった。
全然バイクのツーリングに関係ありそうな事がないので今回バッサリカット!

まあ、その間起こったバイクに関連することといえば、
・ペンション前に友人がバイクに乗ってコケる。
(バイクにキズがつかなくてよかった!
友人?ほとんどすりキズも無くほぼ無傷でした(笑

・止めておいたバイクのマフラーに別の友人が素足が触れてしまった。
「熱い!!」と騒いでいるが回りの友人達は大笑い。
すぐに離れたのでたいした火傷にならずにすんだけど「やっぱりマフラーは熱いんだ」という事を学ばせてくれた友人に感謝!

・中込と菅平を往復している途中、山道の途中で工事のおじさんがコチラに向かって道のまん中でとおせんぼしている。
何事かと思って止まると「兄ちゃん、この先の現場まで乗せてって」という。
「メットがないですよ」を理由に断ろうとすると「工事用のメットで大丈夫♪」
と言いながらもうリアシートに座ってる。
しかもしっかり私の腰に手を回してる!
なんでこんなおじさんとタンデムしなければいけないのか!と思いながら数km先の現場まで送る。
「ありがとうな!」と大きく手を振るおじさん。

(4日目の走行:114.2km)
(5日目の走行:106.6km)
(6日目の走行: 15.7km)
(7日目の走行: 75.9km)

【8日目 8月11日(土)】

いよいよココからちゃんとしたツーリングの再開!
前日、合宿を終えて中込に戻っていた私はいままでの堕落した(?)ライダー根性を叩きのめすべく朝5時半に父の家を出た。

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このバイクの写真で当時の私のツーリングスタイル、バイクの装備もよくわかる。
・乗っているバイクはHONDAのHAWK250T
  オジサンバイクと言われ排気音もバタバタといっていた
  座布団シートと言われたクッションは乗り心地も良くて長くのっていても疲れなかった
・コロナのタンクバッグはお約束
  タンクの上に載せているこのバッグは当時のツーリングライダーの多くが使っていた
  このバイクの前のCB50ではカーキ色の帆布製だったがタンクが大きくなったのでビニール製に買い替えた
  財布やカメラなどの貴重品を入れるほか、上面は透明ビニールになっていたのでそこに地図を入れて確認しながら走っていた
・ARMYの振り分けサドルバッグ
  これも当時のライダーの定番
  雨合羽(今風に言えばレインウェア)や車載工具、スペアパーツなどを入れていた
  これを付けたままでもタンデムが可能だった
・リアキャリアのバッグ
  円筒形のバッグはなんとなく風来坊風でさうらいライダーには似合わうかなと思っていた
・赤い寝袋
  私のスタイルはキャンプ泊ではなく野宿、だからこの寝袋だけあれば寝床は充分だった
・ナンバープレート下の泥除け
  今ではほとんど見ることのないマッドガード
  後続車や自分のキャリア上の荷物に泥はねをしない目的のほか、後方からもHONDAがわかるウイングマーク付き
・赤いバンダナ
  ライダーと言ったら赤いマフラーでしょう
  仮面ライダーもサイボーグ009も。。。

今日の目標は、太平洋岸に戻って名古屋を通って京都くらいまで行くつもり。

順調に走り、京都駅まで行く。
今夜の泊まる場所は「京都駅」で寝ることに決めた。
前回の原付きでの野宿東北一周ツーリングで、秋田駅や青森駅で寝る事を覚えたので割りと気楽に駅で寝ることに決められた。

当時の私たちは駅で寝ることを「ステーションホテルに泊まる」と言っていた。
寝る場所もいくつかあり「駅構内の待合所のベンチで寝る」場合と「駅の外のロータリーの歩道で寝る」場合があった。
京都駅は後者、駅外だ。
この時、京都駅で寝ていたのは私だけでなく他にも自転車で日本を回っていた連中もいた。
なんとなくお互いに声を掛け合い、その日の夕食は一緒に京都駅近くの居酒屋へ行ってお互いの旅の話や情報交換で盛り上がった。
この時の写真が無いのがなんとも残念。

実は大きな駅で寝るのは時間が結構むずかしい。
寝る時はあまり早いとまだ終電まで人通りが多いし、朝は始発電車より早く起きないと通勤・通学の邪魔になる。
必然的に遅寝早起きになる。

(8日目の走行:453.1km)

この日はかなりの距離を走った。
実質的なツーリングの初日みたいなものだ。
これから西日本一周を目指して野宿ツーリングが本格的に開始する。

長くなるので続きはまた後日に。

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