四国九州3週間5千km5万円野宿の旅1-準備編

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先日、急に昔の思い出の四国九州野宿ツーリングのレポートを掲載しましたが、思いのほか多くの方に閲覧していただきました。
そこでもう一度この度を最初から掲載したいと思います。

昔乗っていたホーク(HAWK)での西日本一周ツーリングの記録覚え書きとしての記録です。
このツーリングは今から44年前の1979年8月のことです。
はるか遠い昔のことで(これを読んでいる人の中にもまだ生まれていない人もいっぱいいるんでしょうね)でも私にとっては忘れられない貴重な経験です。
けっこう長くなりそうなので何回かに分けて掲載する予定です。

【西日本制覇の旅へ】

原付(CB50-JX1)での東北一周で自信を付けたと同時にツーリング(バイク旅)の楽しさを知った私が企てたのが日本中を回る旅
前回、東北地方を回ったので次にねらうは西日本
本州西部と四国、九州を回ってこようと考えた。

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今回の旅に関して自分なりのプランを考えた。
・自由きままな旅なのでソロツーリング、一人旅
回るのは本州の西部全体と四国、九州とする。
高速道路はできるだけ使わず一般道
(当時は「下道」という言葉はあまり聞かなかった)を通る。
その土地土地の雰囲気、におい、風を感じたいのと費用を安く抑える。
・ルートは山もOKだし、名勝地なら内陸も通るが、海岸に近いところを通って日本の地型を肌で感じたい。
・出来るだけ野宿をする(その方が「旅」っぽいから)宿へは、風呂や洗濯等必要な時に最低限の宿泊とする。

あまりたいしたプランやルート設定はせずに気のむくまま走ることにした。
名勝、観光地も特にガイドブックで調べずこだわらない。
さらに(当時は)あまり(というよりほとんど)「食べ物」にこだわりはなく、各地の名産を食べるということも頭になかった

【旅の相棒、使用するバイク】

バイクも前回の50ccからスケールアップした250cc、ホンダ HAWK(ホーク)CB250-Tが今回の旅の相棒。
リアには最初から大型のキャリアを取り付けてあったし、タンデムシートには左右のレザーの振り分けバッグ、そして地図が見やすいように大型のタンクバッグを用意した。
5月に納車になってから2ヶ月半。ようやく自分の体の一部としてツーリングの友になってくれそうなレベルまで走り込めるようになっていた。

奥多摩有料道路にも5月以降、月に2~3回は走ってきた。
雨、風、夜間走行や首都高や第三京浜(東京世田谷の玉川から横浜保土ヶ谷までの自動車専用の有料道路で低料金ながら高速走行できた)で経験も積んだ。

【バイク整備】

バイクの整備もパンク修理やチェーン、ケーブルの調整は当然だが、キャブの分解整備や簡単なエンジンの調整もなんとか出来るように覚えた。
特にパンク修理は当時のバイクはほとんどがチューブタイヤなので、ホイールからビートを落としてリムからタイヤを外し、中のチューブを修理または交換するのが一般的だった。
リアホイールはメインスタンドを立てれば外すのも容易(それでも結構重かったけど)だが、フロントホイールは後輪に荷重をかけるかエンジン下に何かをかませて前輪を浮かせなければホイールが外せなかった。
リムをビートから落とすのもタイヤレバー3本で結構体力のいる作業で、パッチ修理のあとホイールにビートをかませて膨らますのも、携帯ポンプだけでエアを手で入れるのは結構疲れた。
結局、今回のこのツーリングでは、前輪1回、後輪2回パンクしてそれを路肩やスタンドの片隅を借りて持っていった車載工具だけで1人で修理した。
これが結構時間もかかり、1時間程度もロスしてしまう事もあった。
もっとも先を急ぐ旅ではないし、いつまでに帰らなければいけないという事もない、気楽な学生時代だったのでそんなにあせってはいなかった。

仕事を持った今では考えられないようないい青春時代だった。
途中でオイル交換もしたが、日本各地にホンダの整備工場が点在していたのでそんなに困らなかったが、当時、カワサキのショップは本当に少なくてもしツーリング車がカワサキ車だったら結構大変な思いをしたかも。

【積載した荷物】

野宿を中心としたツーリングで持っていった方がいい荷物と必要で無いものの違いもある程度わかってきた。
いくら大型キャリアやバッグがあっても荷物は少ない方が運転がラクだ。
出来るだけ持っていく荷物は厳選した。
(当時は今ほど軽量コンパクトなアウトドア用品が多くなく、しかもバイクツーリング専用なんてものもほとんどなかった
すべてが登山・アウトドアショップで揃えるしか方法がなかった)

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主な荷物は、
・寝袋・・・夏なのであまり高価なものでなくてOK。とにかく小さくなるマミー型
テントはなし・・キャンプ場では寝る予定がないのでテントは持たずに荷物を減らす
・銀マット・エアマット・・・これもなし。若いんだから多少固い所でも平気。
実際に公園内の岩の上や工場のコンクリートの上で寝袋だけで寝てました。
・バイクのボディカバー・・・これは荷物の防水カバーにもなるし、木や柱に結んで簡単なタープの代わりにもしてました。
・その他衣料品関係・・・さすがに下着やシャツ、くつ下は着替えを持って行ったが、宿泊の時は洗濯して干せたがそうでない時は、駅や公園で洗ってそのままバイクの荷台に結びつけて走って自然乾燥

上記の荷物一式をダッフルバッグに入れて、ボディカバーにくるんでリアキャリアへ。
今のキャンプスタイルのようなコンテナBOXを使うという発想はこの頃は私以外のツアラーにもあまり無かったと思う。
・バイクの整備工具一式・・・簡単な修理、整備はソロツーリングではいつ、どこで起こるかもわからない。
人里離れた所でも、今と違って携帯電話で助けを呼べる訳では無いので、とりあえず自走して町までこられるようにするくらいの整備に必要な工具は持参した。
当然ある程度のスペアパーツも持参。
自炊用具はなし・・・基本的に食堂等で外食なので自炊はしない。
これで荷物は大幅に少なくなる。
・医薬品・・・ケガや病気の可能性もあるので体にあった薬を持参。
特に捻挫用の湿布薬は必須

これらはサイドバッグに収納
・旅の記録用のカメラ・・・当然銀塩コンパクトカメラと記録用のメモ
当時から写真を撮る事が好きで写真はいっぱいとった。
(フィルム代が、現像代が!)
カメラ好きは実は父親の影響。カメラメーカーでプロ用カメラの設計をやっていたのだ。
・お金・・・10万円弱持って行ったが使ったのは5万円のみ
これについてはまたあとで詳細を。
こっちはタンクバッグの中に入れて、バイクを降りても持ち歩いた。

【ガイド】

日本各地を回るとは言っても今のようにGPSなんてものは当然ないから、全国版の日本地図とハンドルに取り付けた方位磁石だけが頼り。
あとは昼は太陽の方角、夜はなんとなく星の位置で進む方角を大ざっぱに決めた。
だいたいあっち(西)の方に行けば大阪だろう」なんて感じだった。
ガイドブックは一切なし。まさに「行きたいところに行く旅

【いよいよ出発】

ここまで準備をしたところでいよいよツーリングに出発。今回は、大学のサークルが合宿をおこなっているのでそこに参加することも含めて日程を決めた。

ツーリングの最初の数日は、当時長野に単身赴任していた父親の家に転がり込みながら合宿先に顔を出す予定にした。
ルートを決めていないので何日で四国、九州まで行って帰ってこられるかわからないが大体3週間程度の予定にした。

1979年8月4日(土)早朝、いよいよ日本の西を目指して家を出た。

~ 次回につづきます ~

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