’70-’80年代のツーリングスタイル(西日本ツーリング編)

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今回もまた、古い写真を引っ張り出してきました。

東京に住んでいた学生の身のライダーには、時間的な余裕はあっても、
そうそう遠くまでツーリングに行く費用もなかったのです。

そんな中でも、バイトで稼いだ費用で、四国・九州ツーリングを敢行した時のものです。

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個人的にこの時のツーリングの最もお気に入りの写真です。
それまで、東京から陸路で関西、神戸と回ってフェリーで初めて四国入りした時です。
夕暮れのフェリー埠頭を降りた所で、同じ船に乗り合わせたSR400のライダーと一緒に
今晩の宿をどうするか相談していました。
私のツーリングは野宿がメインだったのですが、この時は高知の阿波踊りの真っ最中で
どこの宿も満杯で途方に暮れていました。

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そしてもう一人、同じように宿を探していたCB750Kさんと三人で、
港近くのタクシー会社に相談に行き、どうにか船宿の布団部屋に
三人で素泊まりさせてもらった、翌朝の写真です。
この頃のツーリングの荷物は、ボストンバッグのようなものにただ放り込み、
それをゴムバンドでリアシートにくくり付けるだけが一般的でした。
それと地図を見るためのタンクバッグ、これは全員共通の必須アイテムでした。

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今のデジカメ写真だと、撮影日時とか、機種によってはGPSデータで
どこの場所かまでわかりますが、昔の写真ではそうはいきません。
要所要所で場所のわかる看板を撮影してました。


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30年も経てばこの看板も変わってしまったことでしょう。
左の「室戸岬」より大きくて目立つ、右側の「交通安全」の石碑ってどうなんでしょう。

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四国、九州のように多くの島が点在していたり、大きな湾がある所では、
フェリーが有効な移動手段でした。
今、ETC1000円上限のお陰で便利になった反面、フェリー会社は死活問題となっています。
私のフェリー初デビューで何度もお世話になったこの地域の航路も
無くなっていまうのでしょうか。

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九州に入ってまもなく、台風の影響で大雨となり、
やっとの思いで電話をして泊めてもらった、桜島ユースホステルです。
これは台風一過の翌朝、晴天のYH前の写真です。
ほとんど見えないですが、私のバイクの左奥、
階段の下に同じくツーリング中のDAXが見えました。
私のユースホステル、初体験です。
ここで初めてYHの「夜のミーティング」というものに遭遇しました。
なんだか修学旅行みたいなカリキュラムですね。

ここで驚いた事が!!
この記事を書くのにネットで調べてみたら、桜島YHのHPが見つかりました。
まだ営業しているようです。
そしてそこに掲載されていた建物の写真がコレです。
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わかりにくいですが、この写真の右端部分、
一つ上の私が泊まった時と同じです!!
30年間、ずっと同じ建物でやってきたんですね。
ちょっとびっくりです。

バイクでツーリングしていると、色んなライダーの人とすぐに打ち解けます。
バイクの車種やメーカー、排気量なんて関係ないですね。
当時は今ほどバイクのツーリングする人も多くはなかったんでしょうか。
ちょっとした郊外でも、荷物を乗せて走っているバイクを見ると、
お互いに相手より先にピースサインを気軽に出していました。
今でこそ、ハーレー同士は挨拶をしますが、
このピースサイン、出来れば車種とか問わずにもっとやりたいですね。

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この、長崎で会ったGL400のシバタ君もそんな一人です。
どこかの観光地で声を掛け、お互い一人旅なので
一緒に長崎市内観光をして食事をしました。
ほんの数時間の同行でしたが、今こうして見てもとってもいい思い出です。
今、思い返してみると結構一人で長距離ツーリングをしているライダーが多かったですね。
今のように何十台も連なってのツーリングはあまり見なかったような気がします。
それだけの台数を見るのは、ほとんど週末の夜に限られていたような。。。

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当時の観光地では、長崎という町に来たお洒落(?)な女性客に混じって、
ヘルメットとタンクバッグを持ったライダースタイルでポーズを決めてました(笑;
(しかし、今見るとGジャン、Gパンに首に巻いた赤いバンダナがダサいですね)

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これもそんなバイク仲間との出会いの一枚です。
でもバイクがお互い、反対向きになっています。
この時はGX400の彼と進む方向が逆で、
お互いにここから先の情報交換をして分かれました。

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たった一人で野宿メインで3週間(実質は2週間くらい)、
5万円の費用で東京から四国・九州、関西・中国・東海と回ってきて、
バイクは泥だらけの状態です。

でもそれ以上に同じバイク乗りとの出会い、語らい、意見交換。。。
大げさに言えば、私のその後の人生・生き方に大きな影響を与えてくれた旅でした。
それまで一人旅も野宿も全くした事のなかった私が、
こういう経験を経て、気軽に人と対する事が出来たのがなによりでした。

同じように旅をしようとする方に対しては、
たぶん今は、昔のように所構わず野宿するのは危険な事も多いと思います。
でも宿に泊まるとしても、もし出きることなら、
一人でバイクにまたがって旅立つ事を薦めます。
二人以上でいると、相手の人も声を掛けにくいと思います。
一人どおしなら、思いきって声を掛けてみれば、
割と相手の方も同じように声を掛けたがっている事も多いことでしょう。
中には、あまりそういう事を好まず、一人で静かにしていたい方もいるので、
その時は早々に切り上げればいいだけです。
こうして得た同じバイク同士のつながりは、
私のようにきっと後でいい想い出になる事でしょう。

コメント

  1. ばんさんは、サイクリストだったんですね。
    私は自転車の時代はごく子供の頃だけでした。
    米だけ持って行ったって事は自炊派ですか?
    凄いですね。
    私はキャンプというより野宿だったんで
    自炊は全く考えてませんでした。
    当時、移動の足・手段は関係無かったですね。
    「旅好き」というそれだけの共通点で結びついていましたね。
    今、同じライダーであっても車種、メーカーが違うだけで
    何となく声を掛けにくいのはどうかな。
    私はパーキングではそういうのに関係なく、声掛けするようにしています。
    昔走った道を、もう一度ハーレーで辿ってみたいですね。
    定年になったら出来るでしょうか。

  2. 同じ頃に四国に行ってたのかもしれませんねぇ
    自転車に米だけ積んで
    友人と野宿の旅を満喫していました
    サイクリスト同士ピースサインをしましたし
    ライダーとも仲良くなりましたね

    淡路島の写真は懐かしい感じです
    昔の道路標示は途中で距離が増えることが頻繁にありましてね
    自転車の場合、本当に愕然とするんですよ

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