原付きで行った東北一周2週間の野宿ツーリング

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今年、東北ツーリングを計画しているのは計画しているのは書いたとおりですが、今から42年前の1978年に一度東北一周のツーリングに行ってきた事があります。 その年の4月に初めてバイク(原付)の免許を取って4ヶ月も経たない内に生まれて初めてのバイクでの野宿ツーリングを決行しました。

この記事はその時の事を、12年前の2008年に書いたものを一部手直ししたものです。

今回は「原付50ccバイクCB-50JX1で行った東北一周のツーリング」の巻。

バイクに乗り始めてから、オートバイ雑誌をいろいろと読んだ。 「オートバイ」「モーターサイクリスト」「ヤングマシーン」「750ライダー、とこれはコミックか」。。。
雑誌には読者が各地に旅行に行った時の旅行記=ツーリングレポートが必ず載っていた。
それまでの旅行と言えば家族で電車で行くものか、修学旅行くらいしかしていなかった自分だが、「がんばればどこへでも行ける魔法のじゅうたん」を手に入れた今、自分もどこかに「旅」をしてみたくなった。

どうせ行くなら野宿がいい。
キャンプ用品はなにも持っていなかったからとりあえず赤い寝袋だけ買った。 原付のキャリアに積めるように少しフンパツして小型になるものを選んだ。

ルートについては、
1.当時父が長野に単身赴任しており、車で実家に戻っていた父のクルマと一緒に長野まで走る。
2.次に長野で大学のクラブ仲間が合宿をしているのでこれに参加。
3.その後は新潟で日本海に出て、秋田-青森と北上して岩手-宮城-茨城と回って東京まで戻ってくるルートに決定した。

かかる費用は、合宿参加のペンション代のほかはガソリン代と食事代だけの予定だ。

日帰りではない初めての泊まりのツーリング、荷物はどれくらい持って行けばいいのかよくわからず積めるだけ積んでいった。 50ccの小さなバイクにリアのキャリア、左右サイドにはハードボックスを付けたけど容量はあまり入らない。
タンクバッグの中は貴重品や地図、サイドバッグの中はバイクの修理道具や雨合羽、リアキャリアに積んだのは、防水対策&タープのかわりに使うバイクのボディカバーに包んだ寝袋と着替え。これで全部。

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当時はカーナビなんてものは無く、ルートを確認するのはメーターの上に付けたコンパス(方位磁石)と全国道路地図が頼りです。 これだけで方角を決めて走り、留守宅の家族への連絡は公衆電話のみ。 原付だから高速道路には乗れないけど有料道路を走る際には小銭が必要です。 これもETCはないのでコインクリップをハンドルに付けて対応していました。
今のツーリングと比べるとずいぶん不便に思えますが、この頃はこれが当たり前のことでした。

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初めて原付に乗り始めてから3ヶ月たった、1978年8月1日、リアキャリアに荷物を満載して父の運転する車と一緒に自宅を出た。
原付の制限速度に合わせてもらって父の車の前をR254号線で長野を目指す。

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天気は晴れ。
初めて関東地方を超えての遠出となった。
下の写真は碓氷峠あたりかと思います。

なんとか長野県佐久の父の赴任先に着き、父と祝杯。

翌朝、父に見送られ斑尾高原で合宿している大学のクラブ仲間のいるペンションを目指す。
国道117号から斑尾山を登るのだが、ふもとの飯山駅に来るだけでも50ccのエンジンには相当きつい。 雑誌で読んだのだが、空冷エンジンをより冷やすにはエンジンのフィンの面積を増やせばよいのでアルミの洗濯バサミを付けると良いと書いてあった。(これは多分効果はあまり無いでしょう)
そのとおり実践していたが、エンジンの熱ダレは厳しく足元が異常に熱い! 「斑尾山に登る前にこれはなにかでエンジンを冷やした方がいい」と勝手に解釈して、エンジンに水をかけて冷やそうと思った(良いコはマネしない事) 水がないので仕方なく自販機でジュースを買ってこれをエンジンやエキパイに掛けた!!(良いコは絶対にマネしない事) ジュー!と音とともにエキパイが黒くなってしまった! 水と違ってジュースには糖分がある。それが焦げ付いてエキパイやマフラーを焦がしてしまったのだ。 なんということか! 熱くなったエンジンを水で急に冷やすのも良くないが、ジュースは絶対に止めた方がいい。 経験者が言うのだから間違いない。 それほどひどくはならずに済んだので、帰宅後エキパイは金属磨き(ピカール)で磨いて元のようになった。

気を取り直して斑尾山を登る。 ほとんどローギアしか使えない。 なんとか辿り着き合宿に合流。

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二晩仲間たちと飲んで騒いで、翌朝皆で飯山まで降りてきた。
この写真は飯山駅で「疾走するCB50」 当時は原付きはノーヘルでもOKだった。 腕の日焼けがいかに毎日バイクに乗っていたかをあらわしていますね。

ここで仲間と別れを告げ、また一人になって新潟の日本海を目指す。 新潟には父方の実家のお墓があり、ここに墓参りに来るのが目的だった。 新潟には幼少時代に来て以来だ。

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墓参りを済ませ、日本海沿いを北上、新発田、村上と進む。

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夕方には秋田駅に到着。 今晩の宿はこの「秋田駅」だ。 
駅で野宿することを「ステーションホテルに泊まる」と言っていた。 今はどうなんだろう?

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実はこのブログのタイトル「野宿で行く~」とあるが実は野宿した回数は多くない。 この秋田駅が初めての寝袋利用だ。

写真は翌朝の風景だがここに写っている、バイクのライダーも自転車の旅行者(輪行者)も写真にないがバックパッカー(カニ族って今言わないの?)
みんな一緒に駅で野宿した仲間です。

さらに北上を続け、男鹿半島から青森県へ。 いよいよ本州最北まで来た。 「50cc原付でも、山があろうがガンバれば日本中どこでも行ける!」は実感できた。 青森駅でも野宿。 野宿するのも慣れてきた。

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しかし秋田駅も青森駅も、さすがに30年前と今とではだいぶ変わったな。

青森駅で一緒になったライダーから「一緒に北海道を走らないか?」と誘われたがさすがにすこし疲れて風邪を引きそうな気配があったので
残念ながら辞退した。 この時、少し無理してでも北海道に渡っていれば。。。 そう思うとちょっぴり残念である。
あの時北海道に渡っていれば日本一周制覇が出来ていたはずだった。 その後、34年経って2012年になってようやくハーレーで奥さんとタンデムで初北海道ツーリングに行ったのはすでに書いたとおりです。

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青森から太平洋側に移動し、今度は南下しながら岩手から東京を目指す。

最終日は気仙沼から東京まで約500kmを一気に帰ってきた。 朝気仙沼のフェリーターミナルで野宿してバイクで出発したのが6時頃、それから食事の時だけ休憩して家に着いたのが夜の8時過ぎ、なんと14時間バイクに乗り一般道をひた走った。 おかげでお尻はあせもだらけ。 さすがにこれ以上のツーリングはキツイと思った。

でも今回のツーリングでまた一段とバイクが好きになった。
「自分がガンバって走った分だけ、行きたい所に行ける!」そんなバイクのツーリングは素敵だと思う。
今回のツーリングではバイクのパンクやエンジン不調等のトラブルもなくまた天候にも恵まれたため、初めてのツーリングだったからこその感想かもしれない。

このバイクは50ccの原付きということで非常に燃費のいいバイクで、リッター60km以上走った。 どんなに悪くても50km/lを下回る事は無かった。 燃料タンクは6.3リットルだったので満タンで300km以上走ることができた。 当時、ガソリンは70円台だったので満タンにしても500円でお釣りがくるほどだった。

CB50JX-1は約1年乗っていたが、翌年ホークCB250Tに乗り換えることになった。
でも私をバイクという新しい世界に連れて行ってくれたバイクだけに思い出深いものがある。 いまだに当時のパンフレットは大事にとってある。 この「東北一周」のツーリングの想い出とともに。

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