私の「メカ好き」の一つ「模型好き」になったきっかけの一つに、子供のころずっと読んでいた「模型とラジオ」という雑誌があります。
いろいろな模型やラジオ、電気工作(電子というより電気です)などの原理や作り方を、小中学生にもわかりやすく解説して、写真入りの製作記事も載っていました。
正直いって電気回路の原理や設計については、こどもの当時としては難しすぎてわからないことも多かったのですが、雑誌に書いてあるとおりの部品を、秋葉原や近所の模型店に行って買い集めて、図式の説明のとおりにやればちゃんと動くものができあがりました。
この雑誌を出版していたのは「科学教材社」という会社で、東京神田に出版社とともに店舗も構えていて、雑誌に載っていたキットや模型、部品や電気パーツなんかも店頭販売していました。
当時、私が住んでいたのは都内の山手線沿いのところだったので、中学生になった頃には秋葉原だけでなくこの科学教材社にも足繁く通い、模型で埋め尽くされた店内にワクワクしながら眺めていたものでした。
少し前にたまたま神田で仕事に行く用があり、一段落ついたところで科学教材社に行ってみたくなりました。
スマホで科学教材社を探してGoogle Maps を頼りに歩いて行きます。
神田の駅から12分ほどと表示されていました。
しかし目的地についてもそんなお店らしいものが見あたりません。
いろいろ探して見つけたのがこのビルです。
ここのビルの三階に会社はあるようです。
しかし昔通っていた店舗はすでに無くなっていたようでした。
後で調べてみてわかったのですが、科学教材社は2012年に店舗での営業は終えていたそうです。
まだお店が残っていれば何かキットを買いたかったのに残念です。
今は子供達がこんな風に模型やラジオのキットを店舗で買う事は無くなってしまったのでしょうか。
話を模型とラジオに戻しますが、当時の子供たちが熱中していたプラモデルについても、新製品などが出るとその過程ごとの拡大写真入りで解説したり、簡単な加工例なども載っていて、「いつかはあんな風に作りたいな」と思ったものです。
模型とラジオの最初の方には、電気工作キットの解説カラーの折り込みページが挟み込んでいました。
それは、科学教材社で販売していたキットに入っている説明書とまったく同じものでした。
この「模型とラジオ」の雑誌自体は手元に残っていないのが残念ですが、製作記事で記憶に残っているものを少しだけあげてみます。
なにぶんにも40年以上前の記憶もあり間違っているかもしれませんがご容赦ください。
【模型】
・ラジコン高速魚雷艇(PT-109?) ・・・ バルサで流れるような船底を作り船体の左右に魚雷発射菅を積んでいました。 グレーに塗りましたが、ラジコン化はせずに(子供なのでお金がない)モーターだけ積んでいました。
バルサにサーフェーサーを塗って水研ぎペーパーを掛けるとツルツルになるのを教えてくれました。
・ラジコン空港内での運搬車 ・・・ 飛行機に積む乗客の荷物の入ったコンテナ車を何台か連結して牽引する車です。
前輪後輪ともに中空の大きなタイヤを使いバルサボディで航空会社のカラーに塗装しました。
ラジコンを組み込んで遊びました。
・ロンドン二階建てバス ・・・ 製作はしませんでしたが、特徴的な運転席や二階に上がるデッキを備えた後部の作り方などが印象に残っています。
・ミニクーパー ・・・ これもラジコンだったと思いますが、モーリスミニクーパーの制作記事がありました。
【鉄道模型】
・HOゲージ、レッドアロー号 ・・・ 西武池袋線に初めて登場した初代レッドアローの製作記事です(未製作です)。
車両前面の特徴あるフォルムをうまくつくっていました。
・雑誌見開きサイズのジオラマ ・・・ 模型とラジオを二冊横に並べたサイズに収まる鉄道模型のジオラマ製作です(未製作)
フレキシブルレールを使い、当時の雑誌の記事には「冬休みにこたつの上で作って遊べる…」という表現があったと思います。
・つぼみ堂模型店のBタンク、Bテンダー ・・・ 製作記事としては真ちゅう製のキットをハンダ付けしたり自分で黒に塗装する内容でした。
完成車でも販売しており、どちらも何台か購入しました。
現在でも自宅にまだ残っています。
(※ 近日中にもう少し詳しく紹介します)
・蒸気機関車8620形製作記事 ・・・ 自分ではもちろん作れませんでしたが、ずっと連載されていた渡辺精一さんが執筆していた45mmゲージライブ・スチーマー8620形機関車でした。
【プラモデル】
これはもう参考にしたものがいっぱいありすぎますね。
・タミヤ 1:18 ポルシェカレラ10 ・・・ 当時のプラモ好きならみんな作ったでしょう。
’68日本GPの白いボディに赤いV字ラインが特徴のTAKI RACINGTEAM 仕様です。
・タミヤ 1:18 ニッサンR381 ・・・ カレラ10と双璧をなす当時の超有名モデルです。
車体を押すとリアのウイングが左右別々に動くのがかっこよかったです。
・タミヤ 日産ブルーバードSSSサファリ仕様 ・・・ 黒いボンネットに赤いボディのラリー仕様車です。
同様に40cm近いビッグスケールの1:12 DATSUB240Zのモデルもありました。
今、自宅にはHASEGAWA製の1/24の小さいモデルがあります。
・タミヤ 1:18 フォルクスワーゲンバギー
キャンディレッドのボディカラーにワーゲンビートルのエンジンをリアに積んだバギーモデルです。
何台か買って改造してラジコン仕様にして遊んでいました。
【Uコン】
当時の模型飛行機には、ゴム動力、ラジコン以外にも、Uコン飛行機というものがありました。
Uコン機は小型エンジンの付いた飛行機の翼の端にニューム菅を二本取り付け、それにひもをつないでボディ横でT字型のパーツを介して、水平尾翼の上下をコントロール出来るようにしたものです。
ひものもう一方の先を操縦者が持って、ここを中心に飛行機が円運動をします。
ひもの左右を動かすとそれに応じて水平尾翼が動き、機体が上昇・下降します。
私はエンジン機にはとても手が出ませんでしたが、たまたま明治製菓のお菓子の懸賞応募で当たったUコン機を持っていました。
これはエンジンではなくゴムを巻いて先頭のプロペラを回して飛ばす発砲スチロールの機体のセスナ機でした。
【ラジコン】
初めて買ったラジコンの送信機と受信機は、科学教材社のキットでした。
送信機と受信機が別の製品で、プリント基板にパーツを取り付けてハンダ付けして組み立てるものでした。
ケースはアルミ地のままで、送信機にはロッドアンテナが付いていました。
コントロールの内容はシングルトーン方式です。
今のラジコンはすべてマルチプロポーション式でしょうけど、当時のシングルトーンは名前のとおりトーンボタンが一つだけ付いていて、一回押したままにすると受信機にある円盤プレートがニュートラルの位置から90度回転、トンツーと二回押したままにするとさらに180度回転、トントンツーと押すと最初のニュートラルの位置の少し手前で別系等になりエンジンコントロールになります。
このシングルトーンだけのラジコンで、受信機の円盤につないだロッドの動きでラジコン自動車の前輪の角度を左右に変えたり、エンジン飛行機なら水平尾翼の制御と、さきほどのエンジンコントロールでスロットルを調整しました。
最初の作ったキットのラジコンも室内で遊ぶにはよかったのですが、もう少し電波が遠くまで飛ぶのが欲しくて完成品を購入しました。
それがヒノデ製のシングルトーン式のもので、送信機には1m近いような大きなロッドアンテナを伸ばして使いました。
【ラジオ製作】
・FMワイヤレスマイク ・・・ 一番最初に作ったのはFM送信機のキットです。
5cm×3cmほどの赤い豆本型のケースに組み込まれたプリント基板に部品を付けて作るワイヤレスマイクです。
マイクは当時のラジオの主流だったクリスタルイヤフォンをそのまま使い、コイルも自分で針金を巻いて作りました。
コイルの隙間を調整することで同調する周波数を変える事が出来ました。
実はこのキットを作ったとき、わがやにはFM放送を受信出来るラジオはなく、中学になって買ってもらったソニー製のマイクインマチックのラジカセICF-1300についていたFMラジオで、初めて電波を飛ばして聞く事が出来ました。
家にはこの回路と全く同じものの二号機の黒いケースのものが残っています。
・ミュー同調のゲルマニュームラジオ ・・・ ラジオとして一番最初に作ったものです。
キットではなくパーツを買って作りました。
同調はコンデンサの容量を変化させるC同調ではなく、コイルの中に入ったフェライトバーの位置をスライドさせて同調を取る仕組みのものでした。
検波はゲルマニュームダイオードです。
部品は上記三点にアンテナリード線、それにクリスタルイヤフォンの最小構成です。
ケースには、模型とラジオの解説ページにあったような洗顔石けんがはいっていたケースや、画鋲が入っていた小さなケースを活用しました。
増幅機能はないので飛んできた電波の強さだけでイヤフォンを鳴らす(スピーカーを鳴らすなんて無理です)。
当時、東京タワーから直線距離で7kmほどに住んでいたのですがさすがにリード線アンテナでは音が聞こえず、線を電話線のまわりぐるぐる巻いてようやくかすかに聞こえるくらいでした。
その後で、何度か検波器にダイオードを使わず、錆びた鍵や安全カミソリの刃に回路から針をつないだ線を取り出し、場所を探しながら調整する「サビ検波」ラジオも何台か作りました。
・0-V-2受信機 ・・・ 本格的なラジオ製作は、当時雑誌掲載記事や販売キットの中でも人気のあった真空管式の受信機です。
0-V-2とは「ゼロ・ブイ・ツー」と読み、高周波増幅は無く(0)、真空管式(V=バルブ)、低周波の増幅は二段(2)という意味です。
真空管を複数使い、大きなトランスをがっしりしたアルミケースの収め、差し替え可能なコイルボビンに自分で巻いたコイルの数で、受信する周波数帯を変える事が出来ました。
真空管特有の、ブーンというハム音、すぐに電源が入らずじょじょに赤く温かくなってくる真空管を眺めながら調整をして同調を取りますが、回路が温かくなると周波数がずれまた同調を取り直すというものでした。
【その他】
・ゼネコン ・・・ 自家発電で模型を動かずゼネレーターです。
以前にも何度かこのブログで記事を書きました。
手回し式のハンドルで電気を起こし、模型のモーターを回すケーブル式のリモコン機です。
早く回せばエンジンが高回転(スピードが速い)、逆回転すればバックするというものです。
これも非常時の懐中電灯として我が家に常備してあります。
※ 関連記事 「マブチのゼネコン」は、コチラ です。
コメント
なおぼん さんへ、
はじめまして!
当時、女性で「模ラ」の読者だったとは!
かなり珍しかったのでしょうね。
私もラジコン(最初は自作のシングルトーン式)や
アマチュア無線にもハマっていました。
今は再割り当てのJA1コールです。
ドローンも、だいぶ前にオモチャの買って、
バイクツーリング先で飛ばしたりしてました。
あたしも「模型とラジオ」買ってた。
変な女の子でしたね。
同居していた叔父の影響だったんです。
ラジコンとアマ無線を叔父がやってて、あたしもまねるようになりました。
飛行機が好きなのはそのせいです。
今はまったく遠ざかってしまいました。
ドローンなんかが物議をかもすようでは、ラジコンなんて飛ばせませんねぇ。
DON さんへ、
まだまだ子供のころ持っていたもので
懐かしいものもいっぱいあったのですが、
結婚して家を出た時に処分してしまいました。
ブースカのソフビとか、今あったらお宝になったのに、残念です。
懐かしいです!そもそも、子供の頃はこれだけのものを手に入れることは出来ませんでしたし。今でないと叶えられないという感じですね~。
イサカ さんへ、
えーあのワイヤレスマイクを持っていた方が
いらっしゃったなんてビックリです。
同じ世代に友人に話しても誰も知りませんでした。
同じく明治製菓のUコンも知っているんですね。
いやぁうれしくなりました。
私はラッキーにも当選して、従兄弟と公園で遊んでました。
懐かしいです。
ワイヤレスマイクは私も持ってました。
明治製菓の懸賞のUコン、欲しくて10通ぐらい応募しましたが当たりませんでした。