’70-’80年代のツーリングスタイル(原付ツーリング編)

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ここでしばらく、昔の写真を引っ張り出してきて
ツーリングの思い出を辿ってみたいと思います。

単なる懐古趣味ですが、「懐かしいなぁ」と思う年配の方や、
「えっ、昔はこんなカッコだったの!?」という若い方、、
よろしければお付き合いのほど。。。(笑;

以前紹介した写真がまた登場しているかも知れませんがご容赦。

私がバイク(最初は原付)に乗り始めたのは1978年(昭和53年)。

■まずは、バイクにまつわる制度の歴史をちょこっと。

・1965年(この頃私は小学生)、までは自動車免許を持っていると
 自動的に自動二輪はどんな排気量でもOKだった。

・1975年(私がバイクに乗り始める3年前)から、大型自動二輪免許は教習所の実地免除が無くなり、
 試験場での合格者のみ付与になった。
 私も16歳の年に免許取っていたら大型乗れたんでしょうけど、
 学生の身にはどっちみちそんなバイクは買えなったですね。

・80年代後半からバブル崩壊の平成はじめにかけての「バイクブーム」は凄かったですね。
 当時、採用関係の仕事をしていて、面接に来る大学生のかなりの履歴書の免許欄に
 「自動二輪」の文字が目立ちました。
 それも男子学生だけでなく女子大生もかなり多かったですね。

 その後、バイクブームの終焉とともに学生の履歴書(特性女子学生)から
 「保有資格:自動二輪」という文字は消えてしまいました。

・そして1996年、外国二輪メーカーからの強い圧力もあって
 公認教習所での大型二輪教習が可能となった。

■今、バイクはノーヘルは全面的に禁止ですが、昔は原付はノーヘルでOKだった。
さらに制限速度が30km/h以下の道路(裏道等)なら、
その区間は例えナナハンでもノーヘルでよかったんです。
だから私の原付時代の写真にもノーヘルのものがあります。
学生時代は長髪だったので風に髪をなびかせてはしるのは気持ちよかったですね。

■ここから昔の写真です。
今回は、78年に原付でツーリングしていた頃に撮った写真。

当時から写真は好きでツーリングの際にもコンパクトカメラを良く持ち歩いていたのですが
当然フィルムなんで、今のデジカメみたいにバシャバヤ撮影できなかったんです。
今の若い人やこれからツーリングの思い出を作り始める方はうらやましいですね。

 

78gentuki-touring01.jpg

まだバイクに乗り始めの頃です。
タンクバッグも持ってなかったので地図は後ろのキャリアにくくりつけてます。
進行方向を確認する磁石をヘッドライトケースの上に付けてますね。

 

78gentuki-touring02.jpg

ツーリングに必須のコロナのタンクバッグを付けてます。これのお陰で地図を見ながら走ることが出来るようになりました。
有料道路での料金所で困らないようにコインケースが付いてます。
ミラーはお約束のナポレオン製です。

 

78gentuki-touring03.jpg

この原付で東京から日本海側、太平洋側を回って東北一周、野宿した時のスタイルです。
濡れて困るものはリア左右のサイドBOXに入れてましたが、今のハーレーに比べると収容力は数分の1です。
それだけに持って行く荷物は相当厳選した野宿グッズでした。
リアキャリアの上は寝袋や着替えなどです。雨に降られる事を想定してバイクの車体カバーで覆っています。
そしてこのカバーが野宿の時のタープの代わりでした。

 

78gentuki-touring04.jpg

秋田駅で野宿した翌朝です。
一緒に酒を飲み、語り合った一夜の友です。
青いツナギのバイクの一人旅ライダー、自転車輪行中の三人組み、それにバックパックのカニ族さんでした。

 

78gentuki-touring05.jpg

これは別の機会に、同じCB50JX-1のオレンジに乗る友人と行った江ノ島です。
東京都内の山の手から江ノ島まで、東北一周した私には近距離ツーリングでしたが、初めての遠出となる友人はかなり緊張してましたね。
友人のラッタッター用のおばちゃんヘルメットが笑えます。

コメント

  1. NORIさんへ、
    おぉ、同じ78年組ですね。
    しかもCB50とは!
    同時期からバイクに興味を持ったんですね。
    あの頃は50ccのロードバイクもモデル数がいっぱいありましたね。

    白雪猫さんへ、
    3丁目の夕日は昭和32、3年頃ですよ。
    さすがに生まれたばかりでまだバイクに興味はなかったです(笑;
    ラッタッターってみんな覚えているけど、
    正式名称は忘れちゃった方が多いですね。
    ロードパル、パルホリデー、パルディン、シャレット
    他にはヤマハからはパッソル、パッソーラ、キャロット、マリック、チャッピー
    スズキからはユーディー、ランディー
    なんてのもありましたね。
    バイクを整備に出した時の代車にパルホリデーを借りて、
    あまりに軽すぎて(54kg)、心細かった思い出があります。

    エッチティシィさんへ、
    あの頃は「いかにもバイク」的なスタイルが気に入ってました。
    私も他の時代はそれほど詳しくはないですが、
    原付のモデルがあれだけたくさんあった時代は、
    他には無いんじゃないですかね。
    当時の原付はなぜか各メーカーとも最高馬力は6.3馬力でしたね。
    ヤマハRD50、スズキRG50もそうでした。
    値段は125千円でしたが、その後出たキャストホイール付きの
    RD50SP、RG50E、マメタンが軒並み13万、14万円になってましたね。
    当時、緑のマメタンが好きでしたね。
    と言うことは、私は当時からアメリカン好き?

  2. CB50・・・最高に欲しかったバイクだったけど、親の反対で
    バイクに乗れなかったのがついこの間のように思い出されます。
    私も同じく昭和53年の思い出です。懐かしいですねぇ~。

    私の記憶が間違っていなければですけど、
    当時のCB50は6.3馬力で、原付の中では最高馬力だったような?
    そして価格も当時の原付の中で最高価格?
    確か128,000円だったような記憶が残っていますね。
    CB50の写真を見ているだけで、当時の色んな事が蘇ってくる
    ようです。う~ん、懐かしい♪

  3. 「3丁目の夕日」の世界ですね~
    実家の親がノーヘルで原付(スクーターじゃなかった
    けどなんだったのかわからず)乗ってたの
    思い出しました。
    ラッタッター・・・(笑)

  4. CB50!懐かしい。私が初めて乗ったのもCB50です。
    家の裏の小学校、兄貴の友人のバイクを借りて乗りました。
    偶然にも、1978年(昭和53年)の事です…(^m^)ゞ

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