最近は「野宿ツーリング」などする事は全くなくなりましたが、バイクに乗り始めた30年以上昔の1970年代後半から80年代前半には、日本各地へ長距離ツーリングするライダー達の中でホテルに泊まれるのは一部の裕福なライダーだけの特権で、金の無いあるいは安くあげたい若者ライダー達は野宿ツーリングする事の方が普通でした。
私自身も「旅=野宿」みたいなイメージがあって「どうせ旅に出るなら野宿だろ! 何日か野宿して、風呂や洗濯に困ったらその時は宿に泊まればいい」と考えていました。
宿といっても、今のお泊りツーリングだと妻と一緒なのでホテル泊ですけど、当時は飛び込みで行っても安く泊まれる民宿やユースホステルが多かったですね。
しかも素泊まりだったり、ちょうどお祭りの時で部屋が無くて布団部屋でたまたま一緒になったライダーと相部屋だったりと、それはそれで楽しい思い出でした。
今のご時勢だと、野宿でいろんなところに泊まるのは自分の身の安全も気になりますし、変なところで泊まっていたら不審者として通報されるのがオチでしょうね。
それにキャンプならまだしも、ハーレーに乗って野宿してるのってやはりあまり似合わないかもしれませんね。
あの頃の私は、50cc原付や中型バイク、オフロードバイクなどに荷物をいっぱい山積みしていましたので見た目からしていかにも旅人風ですし、野宿というコトに対しても世の中が今よりもっと寛容ないい時代だったような気がします。
当時は、デジカメなんてものはなかったので写真はすべてフィルムです。
今なら写真をいっぱい撮る私も、当時はさすがに野宿の時の写真はあまり撮っていないので残っていないのが残念です。
(過去にも紹介しましたが)そんな中でわずかに残っている野宿の写真を公開します。
みんな30年近く前の写真なので、今とは駅の形とかが違っていますね。
それを見るだけも、懐かしい気がします。
■新潟、新発田の街道沿いコインスナック
生まれて初めてのバイクでの野宿ツーリングは、原付50ccでの東北一周でした。
この写真は翌朝の出発の時、山形へ続く国道113号線です。
実際のコインスナックが写っていませんね。
当時は街道沿いに自動販売機がいっぱい置いてある無人の小屋がありました。
ベンチもあって電気も点いているのでここで野宿をしました。
コインスナックと無人駅にはずいぶんお世話になりました。
ただコインスナックでの野宿の欠点は、真夜中でも買いにくる人がいたり、街道沿いなので夏の夜だと暴走族のメンバーがやってきてにぎやかになって寝ていられないという事でしょうか(笑;
■秋田駅
一緒に駅で寝た見ず知らずの仲間、ライダー、輪行(自転車)、カニ族(大きなリュックの人)達と一緒飲み屋で盛り上がりました。
夜中に鉄道公安官に職質されましたね。
通勤客とかが来る前に、起き出して出発するのが普通になりました。
写真、左はじの白いCB50JX-1が旅の相棒でした。
■青森駅
当時、駅で寝る事を「ステーションホテルに泊まる」と言ってました。
朝起きて、市場でリンゴをひとつ買って朝飯にしました。
一緒に野宿したライダーに、北海道を一緒に回らないかと誘われました。
【追記】
ブロ友のバイクおやじさんが2013年に青森駅に行った時の写真と比べてみました。
(写真、拝借しました)
35年経ってもそれほど大きく変わっていないような感じですね。
■気仙沼フェリー乗り場
今回の東日本大震災で被害に遭われたところです。
この写真も陸中海岸沿いを野宿場所を探しているところです。
あの時は寝る場所がなかなか見つからず、とりあえず乗船待ちのベンチの上で休みました。
■長野
野宿ではないですが、当時の野宿ツーリングの積載荷物です。
首に巻いた赤いバンダナや、バイクの後ろに付けたドロ除けが時代を感じさせます。
なんとなくダッフルバッグに荷物を放り込んで、走り回るのが「旅」っぽいかなと思って使っていました。
この頃からは原付からステップアップしてホンダのHAWKに変わりました。
赤いのが寝袋で、これだけでほとんど寝てました。
テントやタープは無しなのが私のスタイルでした。
■京都駅
残念ながら写真が無いのですが、ここの駅での野宿は思い出が深いのです。
この時も、夜一緒になった、ライダー、輪行(自転車)達と一緒に飲み明かしました。
京都駅は、西日本一周ツーリングの際、行きと帰りの二回ともここで野宿しました。
■四国、宇和島の神社
夜、真っ暗な山道を走っていて、寝る場所を探していたら遠くに明かりが見えました。
そこに向かって走っていったらどんどん山の中を上っていって、辿り着いたのはうっそうとした森の中の無線の中継所でした。
さすがに怖くてここでは練られなかったのでなんとか下に下りてきて泊まったのがこの神社の境内です。
■九州、ローカル線駅
街中だと大きな駅、ローカル線だと無人駅が野宿の定宿でした。
大体、陽が落ちて暗くなる5時前くらいには、めぼしいローカル線の無人駅を探していました。
夜、寝る準備をしていたら、地元のおじさんが家に来て泊まらないかと誘ってくれました。
当時、シャイだった私は断ってしまいましたが、今だったら喜んでお受けしたのに。。。残念!
無人駅の欠点は、特に雨の日だと野良犬とかも雨宿りにやってくる事でしょうか。
上の写真では雨が降った後でしょうか、リアの荷物をすべて持って行ったバイクのボディカバーにくるんでいます。
これが防水布がわりであり、場合によってが寝る場所の上に広げてタープ代わりに使っていました。
■北九州、ホンダSF工場前
この写真、ホンダSFの工場と関門トンネルの入り口での写真が二重露光してしまったものです。
今のデジカメではありえませんが、昔の銀塩フィルム写真ではたまにありました。
この時も寝る場所が決まらず、夜電気の点いていたバイク整備工場の門の前で寝ました。
ホンダ車と言うことで許してもらえるかなと勝手に甘えていました。
完全に不審者、ホームレスと同じですね。
■広島の平和記念公園、川の横の岩の上
夜、暗くなってから寝る場所を探して広島駅に行ったのですが、ダメそうだったので街中をさまよい、川沿いの公園があったのでそこの岩の上で寝ました。
翌朝、平和記念公園の近くだと気づいて、参拝と記念館に出向きました。
公園とかの緑の多いところの野宿だと、蚊に悩まされます。
腰にぶら下げる蚊取り線香を使っていましたが、それよりムヒの方が出番が多かったようです。
■日本海のどこか
写真を見ると朝焼けの国道53号線とあります。
どこで野宿したのか、記録も記憶も定かではありません。
こんな感じで、もう忘れてしまった野宿したいろんな場所がいっぱいあります。
■オフ車(XL250S)での野宿スタイル
オフ車に乗っても野宿ツーリングに出掛けていました。
オンロード車に比べて荷物が載らないのですが、段々野宿にも慣れてきて、必要な道具とそうでないものがわかってきたので少ない荷物でも野宿が出来ました。
このスタイルで、東北や中部日本に出掛けていました。
■雪中行軍?
さすがに雪道は、走りにこそ行きましたが野宿はしなかったですね。
今の人たちは雪中でもキャンプツーリングとかするようですね。
グッズの進歩も貢献しているんでしょうね。
■おまけ・・・当時のツーリングウェア
春・夏・秋は上のようなGジャンにジーパン(当時の呼び名です)が多かったですが、冬はWBの革ジャンにマフラーです。
下はこれでジーパンの二枚重ね履き(スリムとストレート)でした。
当時はガリガリにやせていたので、それだけ履いてもまだ足は太く見えません。
あの頃のスリムな私はどこに行ってしまったのでしょうか。。。(笑;
こちらはもっと後、カワサキの2ストレーサーレプリカに乗って、峠を走っていた頃の革ツナギです。
背中にネームを入れていましたので、知らない人からも名前で呼ばれていました。
本州、四国、九州はいろんなところで野宿しました。
(北海道と沖縄は野宿してないですね)
たぶんこの時の経験で、すぐにどこでも寝付かれる特技が育成されたのだと思います。
それに朝起きてすぐに活動しないと、駅での野宿では迷惑になりますので、目覚めの良さも育まれました。
また、野宿ツーリングはすべてソロツーリングで、結構な地方も走りますので、簡単なトラブルは、パンク修理も含めてすべて自分で直してなんとか街まで走れるようにしました。
こうして写真を並べて見ると、日本各地いろんな所へ行った割に、写真が少ないですね。
それに実際に寝ていた場所、寝袋を広げた様子を写してないですね。
30年以上経った今、思い出そうと思ってもいろいろありすぎて思い出せない場面がいっぱいあります。
今、デジカメやGPSロガーで一生懸命記録を取ろうとしているのも、当時の事があったからかと思います。
マイメモリー イン マイ ハート !
コメント
おくさん さんへ、
今にして思えば、
本当にいい経験が出来たと思っています。
私たちもタンデムで泊まりの時は
ホテルばかりですよ。
小さな旅館だと駐車場が心配ですね。
ハーレーで妻とキャンプするのは、
ブルースカイヘブンのイベントの時くらいですね。
あっ、その時は野宿じゃなくて
ちゃんとテントを持って行きますよ。
DON さんへ、
その通りだと思います。
私はバイクで野宿で日本中を廻り、
自動車でのオートキャンプでは、
妻と二人、誰もいない山の中のキャンプ場や
強風雨の中など、過酷な状況も
かなりの回数経験しました。
妻も薪で炊くご飯とか、かなり上達してましたよ。
ウシ子 さんへ、
まるで昔の冒険小説のようでしょうか(言い過ぎました。。笑;
当時は、バイクや自転車のグループの中に
女性の方もいて野宿していましたが、
さすがに単独での野宿ガールは見なかったですね。
ジャンルの違う旅人たち、バイク・自転車・ハイク。。。
いろんな見方、意見があって楽しかったですよ。
今の時代だと、野宿は危険がありすぎるかもしれません。
それにあの頃は寝られた大きな駅も、
たぶん今では難しいのではないでしょうか。
かえる十兵衛 さんへ、
昭和の時代には、旅にあこがれる若者が
多かったような気がします。
その足として、輪行やハイクやバイクなどを
利用したのだと思います。
ホークが教習者だったんですね。
アップハンドルにマス集中で、クセの無い
乗りやすいバイクだったのではないでしょうか。
あの革ツナギは、
その後お腹についた贅肉のせいで前傾姿勢が取りにくくなり(笑;
後輩に譲りました。
タイムマシンであの頃に戻れたら、
時間のゆとりのある学生時代に
もっといっぱい日本中を廻って、
野宿をして、デジカメを撮って、GPSログも。。。
夢ですね。
こんにちは
メカ好きおじさんの想い出を自分の事のようにとても楽しく懐かしく読ませて頂きました。
そして、僕は若い頃にバイクでの宿泊旅の経験が無いのでとても羨ましく思いました。旅の想い出って良いですね(^^)
当時のバイクも懐かしくて、ホークは僕が中免を取った時の教習車でしたし、ローソンレプリカのツナギは赤白黒の同じものを持ってました。
その頃のバイクはVF400Fでしたぁ~ほんとに懐かしいです。
確かにあの頃は写真を撮ろうなんて事は少なかったですね。
記録媒体が銀板カメラしか無かったからなのかもしれませんが、今になって写真やログで記録を残したいと思うようになったのはメカ好きおじさんと同じだな・・と思いました。ノスタルジーを感じる歳になったって事ですね(笑)
バイクを相棒に男の一人旅、なんてカッコいい♪
女子には真似できない事だけに、すごくすごーく憧れます!
若い時にこんな経験をしたメカ好きおじさんは宝物を持っているようなものですよ
特に知らない人と一晩飲み明かした経験とか、想像しただけでも楽しそうです(^^)
最後から2枚目の写真、【昔の】映画スターのブロマイドみたいですね~
きっとモテたんでしょうね(*^_^*)
長年の経験はきっと色々と役立っているのでしょうね。
私は思うのですが!アウトドアー体験とか、野宿とか、キャンプとか!
こういうサバイバル的なことを体験すると色んな事に対して応用や発想が豊かになるような気がしますね。
すばらしい経験ですね~。
こういう経験を、得ようと思っても、今はなかなかできません。
いや、当時もそんなにいらっしゃらなかったのでは?
私は、ダンと一緒でしたから、止まりは旅館かホテル。
バイクでちゃんとした場所に止まるなんて、申し訳ないな~なんて、
思いながらとまってました。
こういう経験があるなんて、うらやましいです♪