今バイクに乗っている方の中には、最初のバイクが大型バイクだという方も少なくないと思います。
でも私がバイクに乗り始めた30年以上昔は、バイクに乗るのにもそれなりの「ステップ」というものがありました。
今回はそんなお話しです。
大体男の子(一部の女子も含みます)の場合、バイクの免許が取れる頃になるとクラスの誰かが必ず、原付の免許を取った事を自慢し始めます。
そして、「兄貴のバイクを借りて乗った」とか「やっと(中古の)原付」を手に入れたぞ!」という者が出て来ます。
そうなると、他の仲間も競うように免許取得の一夜漬けを始めます。
原付免許は、本屋で「原付一発合格!」とか書かれた教本をまるまる一冊丸暗記すれば、実技試験もなく試験場でペーパーテストを受けるだけで取得出来ます。
こうして、様々な原付バイクに跨った若者が誕生していったのです。
中には自営業の自宅のカブで参戦する者もいました。
私の場合は16歳の高校生の頃はクラスのそんな仲間の声に興味もわかず、ただ「ふーーん」と思っていただけでした。
それが20歳の頃、急に近所やアキバへの買い物に(当時は秋葉原まで5kmも無かったのでバスや電車、あるいは歩いても1時間で行けました)自転車が欲しくなって、でもこの年で坂道は漕ぐのが面倒そうなので、それなら昔友達が自慢していた原チャリの方が楽かなと考えるようになりました。
あとは運転免許試験場に行ってチャチャっとペーパーテストを受けてめでたく合格、後日人生初めての運転免許、原付を手に入れました。
それまで電車やバスに乗る以外では、自転車や歩くしか行動範囲の無かった若者は、「バイク」という「足」を手に入れると自分の力で、行きたい所に行ける「自由さ」を味わう事になります。
最初は恐る恐る近所を走るだけだったのが、その内今まで電車やバスで行った事のある海や山、高原なんかに行ってみたりします。
さらに友人や雑誌で、あの峠は走ると気持ちがいい、頂上に行くと景色が素晴らしいというのを見て、そこに行ってみたくなります。
乗り始めの頃こそおぼつかなかった運転も、この頃には身軽な原付ゆえ、自分の手足のように振り回して走れるようになってきます。
いろんな峠や観光地にも足を伸ばし始めます。
私も最初の予定では、近所の買い物やアキバ通いの筈だったのが、いつしか東京のバイクのメッカ、奥多摩有料道路に毎週のように通ったり、箱根や湘南、千葉方面にも足を伸ばすようになっていました。
奥多摩では原付でも走りやすい緩いアップダウンとコーナーの連続で、自分なりにいろいろと経験を積んで行きました。
この頃は、友人や先輩とも一緒に走る事もあって、バイクの楽しさが少しづつ分かってきた気がし始めました。
しかし、いつまでもこの蜜月が続く事はなく、次第に自分の乗っているバイクの「50cc」という排気量に限界を感じるようになってきます。
峠を気持ち良く流している時に、後ろから来たより排気量の大きなバイクに軽く抜き去られたり、下りではそこそこついて行けてもコーナーの出口や上りの立ち上がりで圧倒的なパワー不足から軽くぶっちぎられる事もしばしばです。
また幹線道路を走っている時に、制限速度=30km/hを遵守していると危険な事極まりありません。
この状況を打破するためには、自分の大きなバイクに乗るしかありません。
こうして原付免許しか持っていなかった若者は、小型自動二輪や中型自動二輪(当時)の免許を取得すべく、一発試験の試験場や教習所に通い始めます。
そして念願の中免(中型自動二輪免許)を取得すると、多くの者は車検の無い250ccのバイクを求め、ほかの者は車検費用よりより排気量の大きな中免限度いっぱいの400ccのバイクに跨り始めます。
今度の峠デビューは、中免バイクで自慢げに走り回します。
さらに125ccを越えるバイクなら高速道路を走る事が出来ます。
といっても当時は、実際に高速道路に乗ってロングツーリングに行けるのはより上の年齢のおじさんライダー達に限られていました。
原付免許でCB50-JX1を乗り回していた私は、就職前に教習所に通って普通自動車の免許を取得します。
でも自分でクルマを買える訳もなく、オヤジのトヨタ・コロナの4ドアセダンをたまに運転する程度でした。
その一方、バイクに関しては東北一周野宿ツーリングや、高原・峠への登りでローギア(1速)しか使えず悔しい思いをしたこともあり、もっとスピードの出る、パワーのあるバイクが欲しくなりました。
自動車免許を取った教習所に再び入校し、中型自動二輪免許の教習を受けました。
当時の教習車はCB350という二気筒のバイクで、大きさこそ原付より大きいものの、操作自体は問題なく規定時間で教習を終えました。
免許が取れれば欲しくなるのが大きなバイクです。
当時、すでに自分のバイクのスタイルは「のんびり流す長距離ツーリング」だと決めていましたのと、やはり「バイク=ホンダ」という固定概念もあって、ホンダのCB250T HAWK を手に入れました。
最初の原付は、バイク屋から乗って帰ってくる自信が無かったので軽のトランスポーターで自宅まで運んでもらいましたが、さすがにHAWKは自分で納車を受けに行きました。
このバイクは、それ以前に名車とも言われていた4気筒マフラーの造形が芸術的だったCB400Fourの後継車種だったのですが、「2気筒」という事や「ヤカンタンク」「座布団シート」、さらに排気音も「バタバタバタ」という感じであまり評判は高くなかったようです。
さらに座りやすい座布団シートのお陰もあって、配達などでオジサン達が好んで乗っていた事もあり、若者受けは今一つでした。
(それでも数年前の旧車ブーム等で、このHAWKシリーズが大ブームになり、一時中古車市場では高値あるいはタマ不足になる事態も起きました)
私はといえば、とても素直で乗りやすいこのバイクが大変気に入って、街乗り、峠、買い物から、東北、信州などのツーリングに大活躍しました。
そしてこれで四国九州を三週間野宿で一周してきました。
リアに大きなキャリアとサイドにハードBOXを積載し、長距離ツーリングの荷物に対応するようにしていました。
大きなバイクでスピードの出る楽しさ、長距離に行っても疲れない便利さを覚えてくると、俄然バイクが楽しくなります。
こうしてどんどん深みにはまり、バイクで走り続けます。
しかし、いつしか自分の気持ちの中で疑問も生じてきます。
「早く走っているのも、コーナーをきれいにクリアしているのも、はたして自分の実力なのだろうか?
ひょっとしてバイクに『乗せてもらっている』のではないだろうか?」と。
こう考えてくると、大きな排気量に乗るだけがバイクの楽しみではないような気がしてきます。
そしていつしか、スピードの持つ恐ろしさもすこしづつ分かってくるようになり、本当に自分で自由にバイクを操る事を楽しみたいと思うようになってきます。
こうしたライダーが次に選ぶバイクは、軽量なオフロードバイクになります。
ある者は道無きデコボコでも走れるオフロード車を、また一部の者はさらなるマシンコントロールテクニックを手に入れたくてトライアル車を手にするようになります。
ただアクセルをガバッと大きく開ければ速度の出るビッグバイクではなく、自分の体重移動でマシンの挙動を制し、微妙なアクセルコントロールで低グリップの道を走り抜ける事の喜び、楽しさを実感するようになってきます。
私が次に選んだオフロード車は、フロントに23インチという驚異的な大径タイヤを履いて難所もクリアするポテンシャルを秘めた一方、オンロードツーリングでも十分通用する性能を持ったXL250Sというバイクです。
それまでオンロードばかり走っていましたが、この時からオフロード、林道を探して信州、山梨、北関東の山々に入って行くようになりました。
ただ当時は未舗装路の道路も多かったので、オンロード車に乗っている時でもジャリ道などは普通に出くわすことが多かったですね。
オンロードの峠だけでは行けない場所にも踏み入れ、突然開けた峠の眺望に感動したり、どこにつづくか地図にも出ていないような細い道に躊躇せずに入って行けたのも、オフロード車乗りならではの特権でした。
ただ、オフロードを走っていればそれなりに転倒する事もあり、バランス感覚が養われる一方、打ち身や捻挫、傷なども数々ありました。
バイクに積載していた湿布薬が一番役立ったのは、この頃です。
こうして、原付でエンジン付きで走る「バイク」に目覚めたライダーは、大型バイクでスピードを、オフロード車で操る快感を味わっていきます。
この後は、人それぞれどういう方向に進むかわかりません。
ある者は、このままオフ車の世界へ、ある者はもう一度大型バイクへ、ある者は逆に小さなバイクの能力を限界まで引き出す方へ、それぞれのバイクライフを模索していく事でしょう。
私は、オフロード車に乗っていた頃、ちょうど今の妻と付き合っていた事もあり、どちらかというと自動車でドライブに出かける事が多くなり一時バイクを降りました。
でもまた、会社の同僚達がバイクに乗ってきていた事もあり、自分もバイクに乗りたくなって再びホンダのHAWKを手に入れました。
そしてそれまでずっと「バイク=ホンダ」を信条としていましたが、ここは一つ「男、カワサキ」と発起、当時レーサーレプリカブームだった事もあり、KR250Sという、どちらかというとメジャー路線から外れた2ストのじゃじゃ馬バイクに革ツナギを来て峠に繰り出しました。
しかし段々年を取ってくるとこれもしんどくなり、とうとう本格的にバイクを降りる事にしました。
それから16年、バイクを離れていましたが、これまで書いてきたようなバイク人生を送ってきて、さらに前に書いた記事のように日本中をバイクで野宿しながら旅した私は、もう一度バイクに乗って昔のようなときめきを感じたくなりました。
その後は、このブログに書いたとおりで、今まで乗っていなかったジャンルのゆったり流せるアメリカン(クルーザー)というジャンルのバイクに乗ってみたくなり、これまた初めてのヤマハと言うことでドラッグスター250でバイクにリターンしました。
年齢や体力を考えて、今更バイクに戻るなら250ccがいいところだろうと思っていたのですが、これが大いなる間違いでした。
ドラスタ250で乗り出して、妻を後ろに載せてのタンデムで、あまりの非力さに困り果て、わずか1ヶ月で大きなバイクに乗り換える決心をしました。
それが今のハーレー、FLSTC ヘリテイジ・ソフテイル・クラシックです。
若い時にバイクでいろんな経験をしましたので、これからは自分にあった安全でのんびり流すツーリングスタイルに合ったバイクを選んだら、それが今の愛車だった訳です。
そして今までは一人で楽しむ事が多かったバイクライフですが、出来るだけ妻と一緒に楽しみたくて、ペアライド(タンデム)で出かける機会を設けるようにしています。
夏の暑い時や冬の寒い時は嫌がっていますけどね。。。
これからいつまでバイクに乗っていられるかわかりませんが、気がついて見れば34年近く、バイクと付き合ってきました。
体力が続く限りは、まだまだ色んな所を走り続けて行きたいと思っています。
コメント
あくあまりん さんへ、
同じ世代の方だと、
理解していただける点が多いでしょうね。
MR50、ヤマハのオフロード車カッコよかったですね。
当時私も豊島区に住んでいましたので
明治通りもよく走っていました。
どこかですれ違っていたかもしれませんね(笑;
やはり世代が違うと、
特に80年代の一大バイクブームに乗り始めた方だと
最初が250や400という場合が多いようです。
おくさん さんへ、
学生時代はほぼ毎日バイクに乗っていました。
雨の日、風の日、雪の日、
元気な時、骨折した時、いつもバイクでした。
一度は降りたバイクですが、
リターンした以上、とことん乗り続けて行きたいですね。
おくさんのバイク歴も知りたいですね。
ヤス さんへ、
あーーやはり免許改正(改悪?)前なんですね。
私も16歳で取っていれば、
大型二輪教習で苦労する事なかったんです。
>ヘルメットも義務はありませんでした、
そうそう、原付はメット不要でしたし、
ナナハンですら住宅街の30km/h制限の道では
ノーヘルもOKでしたね。
ホンダ、カワサキ、オフ車、ハーレー。。。
同じような感じですね。
あの頃は個性的な車種が多くて
いろいろ選べたような気がします。
DON さんへ、
ホンダのバイクは「ドリーム」「ベンリー」ですね。
便利=ベンリーは凄い安直だなと思ってました。
私も荒川土手で、XL250でウイリーの練習したり、
仲間と共同で買ったヤマハのYZ80で遊んでました。
>アクセルターン!ブレーキターン
かなりの腕モノとお見受けします!!
80歳でハーレー、カッコいいですね。
ぜひ目指してください。
丁度、我が青春と同じような経験ですね。
義理の兄からドリームを借りて、毎日のように草原でバイクの練習をしていました。Uターンにアクセルターン!ブレーキターンと身体で覚えていましたね。
私は年齢80歳までは必ずハーレーに乗りたいと思っています。
しかも、2輪で!そう目標を持ち、元気に生きていけたらと思っています。
自分はそれよりもう少し前かな
二輪免許は17才の時に原付は16の時に、
取った時は二輪の区分けは無く取ればすぐに
どんなバイクでも乗れた時代
免許取って1年くらいは ヘルメットも義務はありませんでした、
最初はやっぱりホンダの250
それを壊してからは カワサキに乗ってました、
もちろん途中オフ車も 経験しましたよ
ハーレーに乗りはじめたのは6年くらい前かな
まァ楽しいハーレーライフ送りましょうね。
若い頃に、バイクに夢中だったのがよくわかりますね~。
私は排気量が違うだけで、同じようなバイクに乗ってます。
今のところ、満足してます。
そのうち変わるかもしれないですけどね。
でも、バイクは乗り続けたいです。
おはようございます。
ほぼ同年代の私は、自分に当てはめながら読ませて頂きました。
ひとつひとつが、「そうそう!」「確かに!」「その通り!」って言う
内容ばかりです。
私の場合は15歳の時から原付免許が欲しくてうずうずしていましたが、
親の猛反対により免許取得に至らず。18歳になって車の免許を取得して、
友人よりヤマハのMR50を譲ってもらい原付デビューでした。
当時は、池袋から目白までの通勤に使っていました。
便利だったし、やっと乗れたバイクに感動したもんです。
・・・18歳になってからですが(笑)
その後21歳で中型免許を取得し400に1年半だけ乗り、保険が切れて
払えなくなり降りるハメに・・・。そして約30年スリープしていて、
突然奮い立ったように大型免許を取得しいきなりのハーレーです。
今はハーレーに乗れる事に大満足しているとともに、この先ずっと大切に
安全に乗り続けていきたいと思っています。