私のカメラ遍歴

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私は写真を撮るのが好きです。

今はデジタルカメラなので、バイクでのツーリングや自動車での旅行で、1日に数百枚は撮影します。

そのほとんどはコンパクトデジカメで撮っています。

家にはデジタル一眼(CANON EOS X-2)もありますが、これは私が妻の誕生日に贈ったもので(一応)妻がメインに使っています。

旅先で気軽にパシャパシャ撮るにはコンデジの方が便利ですね。

昔は当然フィルム(銀塩)写真だったので、フィルム代、現像代、プリント代が大変でした。

当然今ほどの枚数は撮れませんが、それでも旅行に行けば36枚撮りのフィルムを4、5本使うのは普通でした。

ただ「カメラマニア」ではなく、凝った写真や機材をいっぱい持った撮影旅行とはちょっと縁が無いんです。

どちらかというと日常の何気ない風景や旅先で「ちょっといいな」と思った景色やモノをパチパチ撮ったり、気に入ったアイテムを撮影するのが多いです。

なぜこんなに「カメラ」というか「写真を撮る」のが好きかというと、実は親父の影響なんです。

私の父はもうすでに引退していますが、以前はプロ向けカメラメーカーである「マミヤ」で設計や品質管理の仕事をしていました。

マミヤ光機(現マミヤ・オーピー株式会社)と言ってもカメラ好きの方でなければ知らないと思いますが、結婚式場や写真館といわれる写真スタジオではよく使われている大版、中版のカメラを作っていたメーカーです。

私の父は、このマミヤで、世界初のレンズ交換式6×6cm版二眼レフカメラのC330のシャッターなどの設計を手掛けていたそうです。

c330.jpg

ですから、私がモノ心つく前から家にはマミヤのカメラの試作機部品のパーツが色々とありました。

6×9cm判プレスカメラ「ユニバーサル」レボルビングバッグ機構の6×7cm判一眼レフ「RB67」、一時マニアにかなりの人気だった6×4.5cm判一眼レフ「M645」などは、いずれは市販される前の試作機やテスト機を自宅でテスト撮影していました。

universal.jpg

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当然、子どもだった私はそんな「機械、キカイ」したモノに興味津々で、色々と触ってみていました。

まあ、この頃の影響が後の「メカ好き」おじさんを誕生させる要因だったんでしょうね。

親父は設計をするくらいですから当然、カメラや写真に詳しく、小さい頃から「色収差」だとか「被写界深度」などを教えられました。

しかもさらに昔は学校で物理を教えていた事もあるとかで、幼かった私のギモンに、図解入りでわかりやすく説明してくれました。

カメラの色んなパーツが家にあったのは前に書いたとおりで、小学校の理科でプリズムの授業があった時、みんなが三角プリズムを使っていた時に、一人ペンタプリズムで遊んでいました。

シャッター機構のレンズシャッターやフォーカルプレーンシャッターの仕組みは、学生時代にやっていた影絵の人形劇のスタッフとして、光の丸い輪の大きさを自由に可変する装置を作る時に活かされたようです。

さらに親父は若い頃は山登りや旅行好きでキャンプの経験もあり、我が家では年に数回の旅行の際には写真をいっぱい撮るのが当たり前でした。

ただこういう時にはテスト用に試作機を持って行く事は少なく、一般的な35mmの一眼レフカメラがメインとなっていました。

でも、こういうプロ向けカメラばかりいじっていたせいで、かえって普通のカメラ好き・写真好きの方のように、ニコンやキャノンといったメジャーなカメラ方面にはあまり興味が沸きませんでした。

そのために、最初に書いたように「普通の」カメラ小僧とかにはならなかったのでした。

その後、学生時代にバイク(原付)に乗り出して日本各地をツーリングするようになると、ツーリング先の景色を写真に収める為にカメラ、写真をいっぱい撮るようになりました。

この時使っていたのは35mmのコンパクトカメラです。

50ccの原付に荷物を積んでツーリングする時には、当然出来るだけ身軽にするために小さめなカメラが都合がよかったのです。

そして、いよいよパソコン・デジカメ時代です。

私が初めて触った「コンピュータ」は、シャープの「ポケコン」ですが、パソコンを買ったのは1996年と、Windows95が出てから1年以上経ってからです。

そして初めて買ったデジカメが、1996年にKodak(コダック)が販売したDC20という機種です。

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デジカメを民生用に本格的に普及させてた、QV-10(1995年3月カシオが発売)に続く簡単デジカメです。

47mmの固定焦点で1/3のCCD、約27万画素、液晶モニタ無し、内蔵メモリが1MBで、撮影枚数は標準モードで8枚、スナップモードで16枚という、今から見ると「これでよく使っていたぁ」というスペックです。

当時撮影した写真はこんな感じでした。

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※この写真は1999年5月、西武球場での松坂VSイチローの直接対決の写真です。
 ウゥ、ほとんど誰なのかわからない!

その後も、2年くらいでデジカメを買い換えていき、それまでのフィルム時代では考えられなかったような枚数の写真をいっぱい撮ってきました。

ツーリングや旅行の写真だけでなく、日常の風景やちょっとした外出の時にも数多くの記録を残せるようになりました。

「記録」より「記憶」とよく言いますが、それでもこれだけ数多い写真は、記憶を呼びさます貴重な財産になってくれていると思います。

コメント

  1. エッチティシィさんへ、
    昔、日本各地をツーリングしていた時、
    今のようなデジカメがあればもっともっと
    いっぱいの、「その時に撮れるべき写真」が
    残せたのにと思えて残念です。
    仕事でも大変ですね。
    デジ一は、ボディ本体のレベルもそうですが、
    レンズを換えれば、素人レベルだと
    かなりいい写真が撮れそうです。

    ichirouさんへ、
    RB67をお持ちなんですね。
    普通(?)の方以上とお見受けします(笑;
    フィルム代、現像代とか大変そうですね。
    機械には特有の「匂い」がありますね。
    ハーレーに跨って走っている時にも
    そんな「匂い」がありますね。

    あぜ道さんへ、
    私も何度か、パソコンの全データ消去、
    しちゃった事があります。
    バックアップを取ってあったり、
    復元ソフトで無理やり回復させたりと
    四苦八苦しました。
    今は予備機パソコン、ファイルサーバ等で
    3箇所に保存しています。
    FZ50をお使いなんですね。
    私もFZ50やSP-55UZ等と比較した上で、
    同じパナのTZ3を購入しました。
    これが今のハーレー車載カメラ専用機となって、
    走行中の動画や静止画撮影に役立っています。

  2. 確かに写真は財産になりますよね。
    宝物です。
    最近のデジカメで撮ったデーター全部消えたらかなり落ち込みます(>дд

  3. お父様がマミヤにいたとはビックリですね~
    実は我が家にはRB67があったりします!

    RB67に接眼した時のなんとも言えぬ匂いが良いですね。
    決してカビの匂いではなく工場から背負って来た匂いっていうか機械モノの匂いっていうか…上手くは言えませんが、好きです!
    シャッター音もシビレます、鳥肌が立ちます。

    マミヤ製はどれも往年の名機ですね。

    とは言うものの…今はコンデジIXY 一本勝負(笑)
    デジ一も防湿庫で眠ってる状態ですわ~

  4. 写真は「その時」に写さなければ、「その時に撮れるべき写真」は二度と撮る事が
    出来ません。ですから、その時その時を大切にしてシャッターを押していきたいと
    思っています。今はデジカメ全盛時代。コストを考える事なくいくらでもシャッターを
    切る事が出来るようになりました。良い時代になりましたよね。

    私は職業でもありますが、一時期「EOS?1Ds Mark III」と「EOS-1D Mark II N」と
    「EOS 5D」を使い分けしていました。
    今は色んな経緯の後、「EOS 5D」と「EOS Kiss X3」を使っています。
    レベルダウンした理由のひとつに、景気が悪い所為もあります(笑)

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